2019年11月03日・礼拝メモ
ヨハネの福音書 7: 37~53節
「仮庵の祭りの最後に」
「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から生ける水の川が流れ出るようになります。」(ヨハネ7:38)
はじめに
実りの秋です。一年間で一番うれしい時です。ところで、ユダヤ人に取っては一年間を通して大きな祭りが3つありました。今日はその中で仮庵の祭りの出来事です。ヨハネ7章はとても大切な章であることが分かった。当時の宗教の指導者達と主イエス様との論争が、一段と厳しく対立して行く有様が書かれています。
- 主はこの祭りの最後で実にみごとにメシヤとしての使命をまっすぐ叫ばれました。「誰でも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」イエス様がこの言葉を語られた時の様子を思い出しながら、その優しさ、思いやり、その御顔に漂う平安を想像してみよう。そうしたら、あなた自身が渇きを完全に癒され、再び渇くことのない生命の水をイエス様から頂いて飲んでいることの深い確信と平安が心の内に湧き上がってくるでしょう。
- 聖霊が心に住み、私たちの心を物質以上の存在、動向を持って、いつも共についていてくださる御方を捕らえる事が出来たら、それこそ「神様が用意してくださった最高のプレゼント」と言う事になります(ルカ11:33)。
- これを求め願う者のために「見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなた方に送ります。あなた方は、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。(ルカ24:49)」イエス様が去らなければ聖霊は来ません。イエス様の十字架は殉教の死ではなく、純粋に身代わりの死です。十字架は非常にむごく恐ろしい刑罰です。しかし主は勇敢に立ち向かい、その御業を無し遂げられました。その御意志がこの祭りの最後の叫びでした。