2024年07月28日・礼拝メモ

十字架以外誇るものなし

聖書箇所:ガラテヤ人への手紙6章1~18節  

猛暑の日々が続きますがバテル事なく、お互いに守られ、この夏を乗り越えさせて頂きたい。本日はガラテヤ書、最後の6章より大切な3つの事を。
Ⅰ互いに重荷を負い合う・・・人の過ちに冷ややかな心で批判や言いふらし、肉に属する人のように相手を責め、叱責して自己散漫に陥らぬよう。愛は罪を覆うとあるが、愛により人の重荷を負い合い、キリストの「互いに愛し合うという律法」を成し遂げよう。キリストに愛されて、私の罪の重荷を罪なき方が背負って下さった。その愛に押し出されて愛し合う。愛は人との交わりの間に育まれていく。
Ⅱ蒔いたものは刈り取る・・・みことばを教える者に、また、神の家族に対して良い物を分かち合い。善を分けるべきである。キリストに在り、律法から自由とされた者達が「いかに生きるべきか」。肉の欲望から自由にされて生きる。大切なことは「御霊によって生き、御霊に導かれて歩み」主の御旨の中を歩む事。人は種を蒔けば、その刈り取りをすることになるのです。神は侮られるような方ではない。神様をだまし得た人は居ない。アダムとエバも。ヤコブも兄の祝福を横取りにしたが、刈り取りの生涯を送った。持主を殺して、ぶどう畑を奪い取ったアハブ王も神は見逃さず刈り取らせた。私達は自分の肉に蒔いているか、御霊に蒔いているのか、神の前に修正し、永遠のために蒔く者とならせて頂きましょう。今、何を蒔くか、神の国の事を第一にし、与えられた恵(時や健康や賜物等)をその事のために蒔くなら、御霊の実、永遠の生命を刈り取る恵みに与る。
Ⅲ十字架以外に誇ることなし・・・パウロは最後にもう一度割礼問題について語る。愚かなガラテヤ人よ、十字架につけられた主がえがき出されたのに誰があなた方を惑わしたのかと問う。偽教師は、ユダヤ人でその肉体に神の契約のしるしの割礼を受けている事に誇りを持っていた。また、同胞ユダヤ人の迫害を避けるためにも、ガリラヤ人に割礼なくては救われないと教えた。パウロは救われる為に人は全く無力であり、どんな行い(割礼も)必要ない事を示し、キリストの十字架が唯一の道と伝える。偽教師の誇りは割礼であり、律法であった。それは、人の肉の業であった。十字架経験をした者にとって唯一の誇りは十字架であって、それ以外のものはない。それがわかったなら、この世のものは、損と思い「世は私に対して十字架につけられ、私も世に対して十字架につけられた」そして、「イエスの焼印を身に帯びた者である」事を感謝。

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