2024年12月08日・礼拝メモ
しかし、信じます
聖書箇所:ルカの福音書1章1~27節
もう12月も第一週を過ぎ、クリスマスを待ち望む週に入っています。風邪を引かないように気をつけて今年もクリスマスをお祝いしましょう。そして新しい年を迎えたいと思います。大雪の予報が出ています。本当に雪が沢山積もる時は深々と、音もなく底冷えがする寒い夜です。
今日はザカリヤの不信仰という事を思い巡らしたい。18節後に「しかし、信じます」と加える事が出来たらと思い巡らして見ました。神様の恵みの業はもっと素晴らしい展開をしていたことでしょう。
反面教師となったザカリヤさんの証詞です。長い人生の旅路において、幼子のような心の素直さで神を見上げたら、神様の働きは、もっともっと進むと思います。不信仰はザカリヤさんのように、素直になれないし、しこりを持っている事が多いのではないか。子供を望める希望は断たれたように思うのが自然ですが、神様はもっと広い豊かな計画を持っておられる事もあるのです。神様に献身する時、深く考えて結論に至った。というよりか、その時の神の召しに応じた。その事が更に祝福となる。マリヤの場合も主の母となり、栄光を現わすことになった事を覚えましょう。
18節の後に「しかし、信じます」と加えることができたら、ザカリヤさんは10日間、口が開けない期間が無く過ごしたはずです。単純な信仰は複雑な信仰議論を繰り返すことよりも、益をもたらします。彼は人とではなく、御使いとやり取りを交わした。大阪伝法教会では日曜日の夕刻には、路傍行軍がなされていた・・・その単純な信仰で案内をした。人を集めるのは、知恵が必要でしょうが、知恵のない方法でも飽きることなく路傍行軍をしていました。讃美を歌い、路傍行軍から始めて夜の伝道集会が開かれた。それでも新しい方が1人でも2人でも加われるとそれだけで集会の空気は変わった。聖書にはなぜそう導かれたか、理屈をこねるよりか、神が与えられた素直なきよい心で、答えを出している。信仰の入口は迷える自分と、その迷える自分を救って下さる救い主との出会いです。
ザカリヤは不信仰の故に、しばらくの間、喋れなくなった。しかし、主の母マリヤさんはストレートに信じて、イエス様を宿す事が出来た。夫となったヨセフにもマタイの書き出しに19節、夫のヨセフは正しい人で、マリヤを晒し者にしたくなかったので密かに離縁しようかと思った。彼がこの事を思い巡らしていた頃、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリヤをあなたの妻として迎えなさい、その胎に宿っている子は聖霊によるのです。」ヨセフは、単純にそれを信じ従った。