2025年01月12日・礼拝メモ

キリストの福音にふさわしい生活

聖書箇所:ピリピ人への手紙1章21~30節
  久しぶりの雨によるお湿りでほっとしています。雪国では礼拝の前に、雪片付けにおわれていましたが若い時でしたので、今は、そのような力がなくなりました。新年が始まりました。今年も希望を持って取り組んでいきましょう。希望は聖書の中にはいくらでもありますので、心配はいりません。元旦礼拝は、アモス書から語られました。はじめは𠮟られているように、最後の9章までたどりつくと希望が出てきます。イスラエルの民は、民族もろとも連れ去れるという苦しみの中でしたが、最後の9章で神様の回復の御心が語られています。
1) パウロは、キリストのために受けた妨害や争いは全部、納得の上で、キリストを信じ、受け入れたのですから大変な事です。自分が信仰に立った時、そこまで考えずに踏み出した事を思い返しました。何と、弱い信仰でスタートした事でしょう。しかし、たとえパウロのような切り換えが出来たからといって、信仰の弱さで終わってしまうわけではないと教えられています。私の信仰は、内側から湧き出す泉のように、自分を支えているので、生きていられるのです。これからも生きられるのです。明るく生きられるでしょう。
2) パウロを導いたアナ二ヤは最初パウロに会う事をためらっていたのではないかと思う。しかし「アナ二ヤはパウロのもとに行った。」,「この人は私の名を異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、私の選びの器です。彼が私の名のためにどんなに苦しまなければならないかを彼に示します。」と語られ、アナ二ヤはサウロの上に手を置いて、「兄弟サウロ、あなたが来る途中であなたに現れた主イエスは、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」すると、彼の目から鱗のような物が落ちて、目が見えるようになった。そして、その後しばらくして喜びの書簡といわれるピリピ書が書かれたのです。
3) ネヘミヤ8:10「主を喜ぶ事は、あなた方の力である。」キリストご自身が喜びの鍵である。パウロは「私にとっては、生きる事はキリストである。」なんという告白でしょうか。英国のメソジスト運動は、実践の伴う勧告があった。なんと価値のあることだろうか。情熱がキリストに傾けられるとは。私の身により、キリストのすばらしさが現れる事を信じよう。疑わず信じ続けよう。それによりキリストの福音にふさわしい生活を送る事が出来るでしょう。

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