2025年11月30日・礼拝メモ
11月礼拝説教集
2025年11月2日・礼拝説教要約「ボタンかけ違えてない?」
聖書箇所: エレミヤ書29章11節
ボタンのかけ違いのようにはじめの一つをまちがえると全てがくるって来る。私達の人生にかけ違いがないでしょうか?
・生き方に3つの基準がある
- クラゲモード(周りに流され、人をおそれる生き方)
- 自己実現モード(自分の思い計画に自己愛に生きる)
- バイブルモード(聖書の神に基準をおいた生き方)
どれを基準に生きているか、的外れ(罪)の生き方ではないか、十字架の愛を受け入れ信じ、神と共に生きる。岩の上に家を建てる(みことばに生きる)人生へ進もう。(マタイ7:24~25)
2025年11月9日・礼拝説教要約「迷った羊、失った銀貨」
聖書箇所:ルカの福音書15章1~10節
急に秋になり、冬が近づいて来るような気候です。体調を崩さず、この年を締めくくりましょう。自分の眼鏡をなくす事がありました。帽子の上に載せていて、見つからず最後にはっと気づきました。探し物が見つかった喜びは格別です。
今日は、レビという取税人に目を留め「なぜあなた方は取税人や罪人達と一緒に食べたり飲んだりするのですか」イエス様は答えて「医者を必要とするのは健康の人ではなく病人です」子供の頃、人が熊と出会った話を聞いた。「足元を見ながら山道を登り挨拶するために顔を上げたら、熊と鉢合わせになった。一目散に逃げて助かった」と。ヨハネ10:12「私は良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」牧者でない雇人は、羊たちは自分のものではないので狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。そして狼は羊を奪っていくのです。キリストの十字架は私達の罪のためであり、身代わりです。罪を犯したことの無い御子が身代わりとして、ご自身を差し出されたこれ以外に、神の御前に罪赦される事はありません。神様は思いもよらない十字架で、わたし達を救って下さり、そして永遠の救いに向かわせて下さいました。心より感謝しましょう。神の恵みが尽きないからです。
2025年11月16日・礼拝説教要約「祈りつつ神を讃美する」
聖書箇所:使徒の働き16章19~34節
本日は、世界宣教礼拝の朝です。すでに宣教地報告がされました。主の御旨は、全ての人が救われる事を願っておられます。パウロもマケド二ヤ人の叫びを聞いて、新しい地へ踏み込んだ。しかし、宣教が進む時、サタンも働く。占いの女から悪霊を出した事で女の主人達より憎まれ、迫害され、投獄される。この記事から3つの事を。
Ⅰ暗黒の中で・・時は真夜中で暗い中、状況は、捕えられ獄中の人となり、いつ殺されるかわからない。
Ⅱ祈りと讃美を献げていた・・2人は、つぶやきや失意にくれる事なく共に神に祈り讃美を歌っていた。希望は失望に終わらない。囚人達は聞き入っていた。(彼らに影響を与えた)
Ⅲその結果・・祈りと讃美に応え、神は突然、大地震を起こし、全き逆転の業が始まった。看守は「先生方。救われるためには何をしなければ・・」と彼は主イエスを信じ、また、その家族も救われる。パウロ達は、釈放された。神への信仰による祈りと讃美は、暗黒を勝利に変える。
2025年11月23日・礼拝説教要約「福音の前進を喜ぶ」
聖書箇所: ピリピ人への手紙1章18~30節
小学生の頃、ストーブ当番で、なかなか石炭に火がつかないで困った時があった。しかし、石炭に火がつき、ストーブが赤くなるほど燃える時があった。その時は先生が褒めて下さった。ピリピ書から「伝道者パウロの働きを見たい」
- ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい(27節)
名古屋の竿代信和先生が特伝に来て下さった。その時、この言葉が語られた。福音のために「救われた後、天国の市民としてふさわしく生活しなさい」この事が繰り返し語られた。それ以来、自分の心に残っている御言葉です。
- パウロの福音に対する意気込みは、文字通り「自分を神に献げた」その大胆な姿勢が一生涯を貫いて、キリストと一つになって、イエス様とお会いするまで、福音伝達の使命を崩さなかった。
- キリストのために苦しむことでもあるのです。(29節)
キリストとともに苦しむ事ができたら、ますますキリストの近くに住まわせて頂けるのです。将来をキリストに委ねて進むことは、神の御守りの中に在って道が開かれて行く生涯です。
2025年11月30日・礼拝説教要約「イエス・キリストの誕生次第」
聖書箇所: マタイの福音書1章18~25節
アドベント第一礼拝の朝を迎えています。新約聖書のはじめは「イエス・キリストの系図」です。イエス・キリストが地上のユダヤの先祖達からの系図をたどって誕生された事実。キリストは真のユダヤ人、真の王、真に人となられた神である事を語る。
18節からはその誕生の源泉が人によるのではなく、神である事を語っている。
Ⅰ処女降誕であった。・・それは、単なる奇跡ではなく、創造者の神の力が直接的に処女マリアの胎になされた御業である。
①キリストは罪の遺伝を全く受けていない方として宿られる必要があった。
②キリストが罪ある人間と同じであったなら、贖いの業を遂げる資格はない。
Ⅱつけられた名前の目的・・・①イエスは「神の救い」キリストは「油注がれた者」
②インマヌエルは「神が私たちとともにおられる」の意味。この世に来られたキリストは罪を救い、聖め、信じる者と共におられる方、
Ⅲヨセフの信仰と服従・・・正しい人であるヨセフにとって、マリアの懐妊は重大なこと。天使が夢で「聖霊によって、宿ったと」語られ、ヨセフは信じて従った。(マリアも信じて従った)真に神のなさる愛の御業は人の思いをはるかに超えた事実であることを確信させて頂きましょう。





