2026年04月19日・礼拝メモ

4月礼拝説教集

2026年4月5日・礼拝説教要約「勝利の復活」

聖書箇所: コリント人への手紙第一15章35~58節

人類にとり最も重大で意義深い朝。それは、主イエス様がよみがえられた朝、人類始まって以来の事が起こった!それは勝利と希望と栄光の朝です。この箇所より復活の事実と目的そして勝利の復活について。

Ⅰ 復活の事実・・・「あなた方はどうして生きている方をさがすのですか、ここには おられない よみがえられたのです」キリストは現在も生きておられる。信仰者の素晴らしさは、今も生きておられる方と共に生きている事。私達は復活の主の証人です。

Ⅱ 復活の目的は・・・①十字架にて、死なれた同じ主が復活された事を弟子達に知らせるため②贖罪の完成・・・「キリストは私たちの背きの罪の故に死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました」ローマ4:25③復活のいのち・・・キリストが復活した事は彼に従う者が間違いなく彼のように復活の命により霊の体に復活する保証であり、見本なのです。

Ⅲ 勝利の復活について・・・「死は勝利に呑み込まれた」キリストは罪を、死を滅ぼし、勝利し、それらの支配より解放の道を与えて下さった。この復活の信仰に生きる我らは、この福音をこの世に証詞する生涯を歩んでいる。それは、無駄ではない。主のように励まして頂こう。「このイエスを神はよみがえらせました。私たちはその事の証人です」使徒の働き2:32

 

2026年4月12日・礼拝説教要約「神が教えてくれた幸いな生涯」

聖書箇所: マタイの福音書5章1~12節

マタイの福音書は、約束され待望されていた王なるキリストの到来について強調して記されています。この方は、この世の王とは全く違う御方で、その誕生時も飼葉桶の中に寝かされたという事態でした。マタイは主の教えと奇跡を明確に区別して、記しています。今日の箇所は、その教えの部分。天国の市民の品性を9福の教えで説いています。1~12節、真の福音は物質や境遇にあるのではなく、品性にある事を示し、語っている。謙遜であり、罪を悲しみ、柔和であって、義を慕う、あわれみ深く、純潔(心の清さ)、平和を愛する者、信仰のため、主のためには迫害を甘んじて受ける者・・。このような人が真のキリスト者であり、幸いな人である。13~16節には、キリスト者は、地の塩、世の光である事を示す。塩は、物をきよめ、腐敗を防ぎ、味をつける。そのように社会の腐敗を防ぎ、恵みを与える感化力を持つ。また光は、暗黒を照らし、道を示す、福音を証詞し、世を照らす存在、主の光を世に反射させる存在である。その効力を放つ者となりましょう。

 

2026年4月19日・礼拝説教要約「石が転がしてあった」

復活の主は40日間、人々の前に顕現された。

本日も復活の主と出会った記事より

墓に向かう人生・・マリア達、葬られた主への深い悲しみ、失望感、喪失感を抱いて墓へ向かう。私達も、どこへ向かう人生を行くか?どんなに頑張っても墓に入る。墓に大きな石、人々には不可能という課題が。

石が転がされていた・・・目を上げて見ると、アブラハム、ヨシュアの時の如く(主の備え、軍の将)マリア達にも石は転がされており、主は復活された。(大きな課題は転がされていた)

主の復活の証人となる・・復活された主が最初に現れたのは、5つの悪霊を追い出されたマリアに。マリアは主の証人として人々に伝える特権を。主は全世界への福音伝達を命じた。大きな石はすでに転がされ、復活の主が、私達と共に働いて下さっています。

 

2026年4月26日・礼拝説教要約「失われた者への神の愛」

聖書箇所: ルカの福音書15章11~24節

群を離れて迷い出た100匹の中の一匹の羊。集め蓄えた10枚の銀貨のうち一枚を無くして捜す。2人息子のうち、弟が財産を使い果たして、悔い改めて、家に帰った話、これらは、神から失われた一人の人間を捜し求める神の思いのたとえ話です。今日は、放蕩息子が譲り受けた財産を使い果たして親元に帰る姿です。どこにもありそうな話ですが、よく考えて見ると、イエス様が語られた このたとえは、救いのお話が語られています。私達の中に、この弟息子のような、自己中心で、わがままで、せっかく神から与えられた財産(賜物)をこの息子は全部、遊び放題に使い果たしてしまった。そのようなわがままな生き方をしてきていませんか?

このような生き方を私達はしてきたお互いです。ですから方向転換をして神のもとに帰らなければなりません。弟は最後に父親を慕って、素直になり、帰るのを待っている父親のもとに舞い戻ると言う。やり直す事にした。私達も神様を信じる前は、この息子のように、自分で汗水を流したものでない神の賜物を自分の欲望の為に使い果たしたお互いであったのではないでしょうか。落ちぶれて「我に返って」初めて神様のありがたさを知って、神に立ち返るのではないでしょうか。ですからこのたとえ話を通してイエス様が教えて下さった救いを受け入れなされますように。

 

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