2026年08月30日・礼拝メモ
8月礼拝説教集
2026年8月2日・礼拝説教要約「恐れるな 虫けらのヤコブ」
聖書箇所: イザヤ書41章1~20節
先週は、熊本に再三の大地震がありました。近年は災害が多く、人々は不安を覚えている。主はガリラヤ湖で嵐に遭った時、「黙れ!静まれ!」と命じ、嵐を静めた。全ての支配者、統治者であられる。弟子達に「なぜ恐れるのか、まだ信じないのか」と言われた。今日も「恐れるな!」とイザヤ書から語られている。
Ⅰ歴史の支配者であるから・・・敵が結集し、強固であっても事を成し遂げるのは主。
Ⅱ「恐れるな!虫けらのヤコブ」と・・・①私があなた方を召し、任命したのだから②私が共に居るから。また、強くし守り、敵対する者を全く無者とする。③虫けらのような何の価値も無い者だから④あなたを贖うから
Ⅲあなたを鋭く新しい再刃の打穀機とする・・・神は見込み無き者を作り変える。真理のみことば(御霊の剣)を用いる者と。
Ⅳ神は偉大なみ業をなさる「荒野に水が流れる」・・・彼らをみ捨てず。砂漠に豊かな結実を生み出す。主に絶対的、信頼をもって進みましょう。
2026年8月9日・礼拝説教要約「死者の中からの復活」
聖書箇所: ピリピ人への手紙3章1~11節
パウロはユダヤ人の中のユダヤ人でしたから、このように言うことができたかも知れませんが、ここでパウロは自分の事を証詞しています。それは、その熱心については教会を迫害したものであった。「律法による義」については非難される所がないもの。厳格に律法を守るユダヤ人ですと。
- 自己拡大・・自分を人々の称賛の中心にしようとする。
- 自己主義・・自分の意見を押し通し、自分は聖書の意見に適しているとする。
- 自己工作・・非常な努力と工夫がなされていますが動機が間違っている。
- 自己信頼・・自信過剰で批判的に福音に生きる者として信じている。
パウロはこう言っています。しかし、私にとって得であったこれらのものは、損と思うようになりました。それどころか私の主であるキリスト・イエスを知っている事の素晴らしさのゆえに、一切の事を損と思っています。私はキリストの為に全てのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私にとって、キリストを得、キリストにある者として認められ、キリストを信じる義、神から与えられる義をもつからです。地上的な義ではない神から与えられる義を持たせて頂けるからです。
2026年8月16日・礼拝説教要約「私と苦難を分け合ってくれた」
聖書箇所:ピリピ人への手紙4章1~14節
最近多いゲリラ豪雨に遭った。ものすごい音を立てて、雨が降り、雨水がたまり、下り坂がまるで川の中を走っているようでした。千葉県の大雨はこれ以上であった。気候変動を思い知らされた事です。
パウロは更に筆を進めて、一致の重要さを目指してキリスト者の目標を書き留めている。主は「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ」と語られた。(マタイ10:16)「あなた方の寛容な心が、全ての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝を持って献げる祈りと願いによって、あなた方の願い事を神に知って頂きなさい。そうすれば、理解を越えた神の平安が、あなた方の願いと心の思いをキリストにあって守ってくれます」4章6~7節
思い煩いとは、考えて苦しむ事である。気の回しすぎの事でもある。心身の健康には有害である。ですから私達は、楽観的なように主に委ねよう。主イエスに救われた生涯であっても、隙間風のように忍び寄って来るものがあるので気をつけなければならない。更に一致を目指して進むように心に留めよう。私達もパウロのように、神に祈り、自分の事はイエス様に預けて、勝ち得てあまりある人生を走り続けよう。
2026年8月23日・礼拝説教要約「召しにふさわしく歩む」
聖書箇所:エペソ人への手紙4章1~16節
エペソ書は、パウロが獄中から、かつて伝道したエペソを中心とするアジア諸教会へ送った回し読みの手紙です。この書の主題はキリストの体である教会。そして、この箇所は「主にある囚人(パウロ)からの重要な勧告」として、あなた方は召されたその召しにふさわしく歩みなさいと語られている。
Ⅰ、召されたその召しについて・・・私達は教会に神ご自身によって招待された。強制ではなく、神のご計画、摂理による招きに応答し、集まった。
Ⅱ、召しにふさわしく歩むとは・・・①お互い平和の絆で結ばれる。それは謙遜(人を自分より、すぐれた者とする)、柔和(自分と異なる隣人のため、その人の必要に心を向ける。自己に死に神の聖さと愛によりコントロールされた心)寛容(人をとがめず、赦す心、人の足りない所を祈りながら愛により忍んでいく。復讐しない心。)忍耐(キリストの愛により自分を自制し、怒らず神の愛により耐え忍ぶ)が必要です。
②御霊による一致を保つ・・・私達はすでに望み、体、御霊、主、信仰、バプテスマ、父なる神について一つである。一致を生み出すのでなく、熱心に保つ事。
Ⅲ、召された目的は・・・キリストの体を建て上げるため、各々違った賜物をもって、奉仕に整えられ、キリストの体として愛によって、組み合わされ、成熟した教会と建て上げられていく。お互い成熟していない教会に必要な一人一人として召されている。
2026年8月30日・礼拝説教要約「古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着る」
聖書箇所: エペソ人への手紙4章17~32節
パウロは、キリストの体である教会の建て上げの為に召された私達が神の前にどうあるかについて2つの事を勧告している。
Ⅰ古い人を脱ぎ捨てる事
私達は各々違った人生を送り、皆自分流の生き方対処の仕方が身についている。しかしキリストに救われたなら新しくなり、キリストのように歩む者として生かされた。もはや、異邦人(この世の人)のような①空しい生き方、②神への無知、③道徳的無感覚の生き方を脱ぎ捨てる。古い性質をキリストの教えにより、悔い改め、十字架の血潮を仰ぐ。古い人を脱いだのは新しい人を着るため。
Ⅱ新しい人を着るとは・・・①言葉に於いて真実を語る。②隣人との関わりに於いて、主から与えられたものを自分のためだけでなく、人と分かち合う、献げる。③互いに親切にし、主があなた方を赦して下さったように赦し合う。神は、罪に堕ちたアダムとエバに皮の衣を着せられた。(命の代価の払われた皮)古い自分を捨て、キリストの下さる義と聖と贖いの衣を着て、キリスト者にふさわしく変えられていきましょう。





