2019年12月22日・礼拝メモ
ルカの福音書 2:1~20節
メッセージ「飼葉桶に寝ているみどりご」
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」(ルカの福音書 2:11-12)
はじめに
先週はみぎわさんを迎えたクリスマスコンサートでした。また受洗者も起こされて素晴らしい聖日となりました。
- 天地万物を創造された大いなる神が、小さい、卑しい人間を救うために、人間と同じように小さくなって下さった。愚かな人間を救い出すために、神がイエス・キリストにおいて、あえて愚かなあり方をとってくださった。これがクリスマスの出来事です。
- 神は一体どこまで低く降られたのでしょうか、飼葉桶にまで降りてこられ、みどりごとしての誕生です。キリストの誕生は旅先でなされ、ごったがえした宿屋にはスペースなく、家畜小屋での誕生でした。干し草の香りと、家畜の息と鳴き声が聞こえる場所でしたから、万民の救い主としての神の恵みと知恵が表わされた場所でした。
- キリストの誕生は、神→人間に、人間→十字架の身代わりの死にまで、二重の謙遜をもっています。「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿を取り、人間と同じようになられました。人としての姿を持って現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまでも従われました(ピリピ2:6-8)」。飼葉桶に身を横たえたことはその生涯の序曲です。
- そして、私たちの心にも降りて下さいました。「見よ。私は戸の外に立って叩いている。誰でも私の声を聞いて戸を開けるなら、わたしもその人の所に入って彼と共に食事をし、彼もまたわたしと共に食事をする(ヨハネ黙示3:20)」。その交わりに加えて頂く事は、素晴らしい光栄に満ちたプレゼントなのです。