2021年04月25日・礼拝メモ
平安があるように
聖書箇所「ルカの福音書24章36~53節」
イエス様の復活は、聖書に預言されていた通り、罪と死の暗黒を打ち破り、「本当に主はよみがえられた」。主は、穏やかな表情で「平安があるように」と語られています。
- 永遠に至る平安、「私が与える平安は世が与えるものとは違う」とイエス様はおっしゃいました。天より人間の一番中心に与えられる霊の平安です。世の一時的な平安とは全く違う平安です。
- 主が共にいて下さる事の故の平安、おびえ怖がり不安な状況の弟子達、その彼らの真ん中に立ち、インマヌエル神が共におられるという事実こそ、彼らに平安が与えられました。
- 主は「私の手や私の足を見なさい」と示された。罪を赦して頂き、贖われた平安です。一番鮮やかな実例はダビデ王です。(詩篇51章1,10節)「神よ 私を哀れんで下さい。あなたの恵みにしたがって、私の背きをぬぐい去って下さい。・・神よ、私にきよい心を造り、揺るがない霊を、私の内に新しくして下さい。あなたの救いの喜びを私に戻し、仕える事を喜ぶ霊で、私を支えて下さい」罪の呵責から来る攻めを、まるで柔道の背負い投げのようにかわして下さる時、平安となる。
- キリストの愛を知った平安です。十字架でご自身のいのちを捨てくださったほどに愛されている自分を知り、その恵みによる平安です。「私たちを愛して下さった方によって私たちは圧倒的な勝利者です。」
- そして、何よりも死に打ち勝ってくださり、贖いを成し遂げて下さった故の平安です。人は最後の敵と言われる死とその後の裁きが怖い。最後は正しい審判者の前に、否応なしに立たせられるのです。その時、贖いの恵みを噛みしめる事でしょう。