2021年05月23日・礼拝メモ
いったい、これはどうしたことか
聖書箇所「使徒の働き2章1~21節」
- 聖霊降臨日「いったいこれはどうしたことか」。聖霊の就任式と言う驚くべき事が起こった。目に見える型で、聖霊降臨がなされた。大風のような響き、炎の舌が現われた、そして1人1人の上に留まった。皆が聖霊に満たされ、集まった人々のことばで(母国語)で話し始め、理解する事ができた。
- 風は生命を与える神の息(エゼキエルは主にこう言われた「息に預言せよ。・・・神である主はこう言われる。息よ、四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹き付けて、彼らを生き返らせよ。(エゼキエル37章9節)」枯骨の谷の干からびた白骨化した骨の集団に対して、生命の原点、命の息を吹き込んだ。神の創造の業を再編して下さった。また火は罪を焼き尽くし、きよめる神の火「見よ。これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り除かれ、あなたの罪も赦された。(イザヤ6章7節)」
- 弟子達がお祈りしていた時、炎のような舌が、1人1人の上に留まった。イザヤの唇に触れたように、弟子達はきよめられ、力づけられた。1人1人が証詞(福音を伝える)するものと変貌された。18世紀、ウェスレーの時代、リバイバルが起こっていた。町の警備に当たっていた警察官に、旅人が尋ねた。どこでそのような業が起こっているか、その警察官は自分の胸をさして、「私の心のうちに起こっている」とにこやかに応対したと言う事です。
- <結論>信じる全ての人が救われ、聖霊が注がれ、聖霊を内に宿す。更に聖霊に満たされ、希望と喜びを持って、十字架と復活の証人となることができる。主の十字架の血潮を仰ぎ、全的信仰と服従により、聖霊に満たされましょう。