2021年12月12日・礼拝メモ
大きな憐れみ、深い憐れみ
聖書箇所「ルカの福音書1章57~79節」
今日はアドベントの第3週です。 ザカリヤの10ヶ月は沈黙の時でした。しかし、神様に向かい心を開き、不信仰を悔い改めたザカリヤにとって神様の真実さに浸ることができた恵みの時であったに違いありません。ですからその口が開かれた時、止めどもなく賛美が湧き上がった事は一生涯を通して最高の栄誉を授かった幸いな事でした。それは神の深い憐れみよるものです。
- 大きな憐れみ(幼子が与えられた事、そしてその子の命名はヨハネでした。)ザカリヤと名付けるべきでしたが「ヨハネ(主は恵み深い)」と名付けられた。年老いた聖職者に子が与えられた奇跡でした。教えられる事は、天使が伝えた事とエリザベツの思いが一致した「ヨハネ」との命名です。聖霊による導きでありました。私たちの人生で不信仰を悔い改めるチャンスは最後の息を引き取る寸前まで働かせる事のできる救いの絆であります。そしてザカリヤはこの時から真実の恵みの器と造りかえられた生涯となったのです。聖霊に溢れて彼の口から預言の賛美がほとばしり出た。
- 深い憐れみに対するザカリヤの賛美。神様が贖い主・メシヤを約束どおりダビデの末裔に送ってくださった事実を示すものでした。神は約束を守る誠実な御方であると讃美しています。①救い主は私たちの罪を赦して下さる。②敵の手から救い出して下さる御方であります。当時のユダヤ地方はローマ帝国、分封としてのヘロデ王支配下にありました。その抑圧からの救いであるとともに究極の敵サタンの支配からの救いでした。③私たちの生涯において、きよく、正しく、御前に恐れなく仕えるための救いであります。改めて心に銘記しましょう。憐れみとは私たち、何も功績が無い者に与えられるのです。ただ神の恵みの故に与えられる救いです。「私たちが滅び失せなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ(エレミヤ哀歌3章23節)」きよくとは神の御前に立つ事ができることであり、正しくとは隣人に対して健全に交われる姿です。恐れなくとは敵の恐怖にたじろかずに立ち向かう備えができる事です。