2022年04月03日・礼拝メモ
主がお入り用なのです
聖書箇所「マタイによる福音書 21章1~11節」
教会の暦では来週から受難週に入ります。ヨハネの福音書12章では受難週前の金曜日、ないしは安息日にはイエス様のご一行はもうベタニヤに到着していたらしい。そしてイエス様は十分にくつろがれた。
- 凱旋的入京
この事はゼカリヤ書9章9節の預言の成就です。「娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って、わたしは軍馬をエルサレムから絶えさせる。」物々しい軍事パレードとこの時の様子を対比、平和の王としてろばの子に乗って、入城された主を。神学院の本館には初代院長蔦田二雄師直筆の「凱旋」が。主の凱旋入京は子ろばに乗ってであった。
- 救い主の柔和な人柄
主の柔和を思い巡らすが、うなじのこわいイスラエルの民を導いたモーセについても「地上のだれにも勝って柔和であった」とある。ろばは、柔和の象徴です。イエス様は柔和な王としてろばに乗って来られた。マタイ11章29節、私共も主のくびきを負って主から学ぼう。
- イスラエルの人々と私達の讃美
人々は、棕梠の葉や着衣を敷いて、ホサナ、ホサナと主を迎えられました。私共も、主の御用の為に選ばれ用いて頂くあの子ろばの如き者である。「走れなくても、強くなくても、いつもイエス様がいてくれます。わたしたちはろばの子です。神様のために、神様のために、働きます。」と讃美しつつ主に従いたい。