2022年06月12日・礼拝メモ

キリスト者の確信

聖書箇所「ローマ人への手紙8章31~39節」

今日はローマ書8章の最後の完結文に目を留めてみたいと思います。その中に「苦難」の問題が扱われています。私達の人生に「苦難」はつきものであること。「苦難は」信仰者になったら無くなるものではありません。ある方はこのように語っています。苦難は私達の信仰が足りない事の結果でも。信仰がだめなことの証拠でもなく。苦難は神から見捨てられた事のしるしでもありません。

1)苦難には警告的な意味があります・・自分の在り方が神の前にどうなのかを考え検討するために送られる場合があるのです。謙虚に自分を反省する良いチャンスと捕える事ができたら本当に幸いです。

2)苦難は神の教育的な意味が含まれています・・旧約聖書のヨブ記はその一番良い実例です。時間のある方は全体を一挙に読む事をお勧めします。時間の取れない方は、今、拝読しますヘブル12章6~10節に目を留めて頂きたい。神は信仰を強め、整えようとしておられるのです。神は真実なお方ですから、私たちが耐え忍ぶ事のできない試みには遭せないこと、また「苦難」を乗り越える道を設けておられる事を信じて、堅く立ちたいものです。そうはいってもなかなかうまくは行きませんで、何回も主の薫陶を頂く事になります。

3)しかしその結果・・圧倒的な勝利者となるのです。35~36節、「だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか、苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。」こう書かれています。「あなた方のために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊とみなされています。」これは困難試練の唯中の思いです。だが、「私を愛して下さった方」神様は、真に、豊かに守り支え、ご自身の栄光の器として、圧倒的な勝利(凱旋)へ導かれるのです。

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