2024年09月01日・礼拝メモ
大祭司キリスト
聖書箇所:ヘブル人への手紙5章1~10節
大型台風に振り回されるような昨今。自然災害は人間の力の空しさを知らされる。 主イエスはお言葉一つで嵐を静めるお方。この様な事を通し人々に神を畏れる思いを与えられる様に祈る事です。本日はヘブル書5章より、大祭司キリストについて。(前回の4章後半、偉大な大祭司の続きであります。)大祭司であられる方の3点、
1.キリストは人を思いやる事ができる大祭司・・・大祭司は人と神をつなぐ働き。人々のために、神に執り成しをする務め。罪の贖いは血を流す事。死の代償が必要。それを献げる任務。その大祭司の資格は思いやりの心。イエスは「私たちと同じように試みに遭われた」御方でしたので、私たちの弱さを思いやり、私達の苦しみに同情を寄せる事のできる方。そんな大祭司としてキリストは人とならなければならなかった。そこに受肉の意義がある。
2.神によって立てられた大祭司・・・任命を受けた(1節)神に召されて(4節)と神の尊い御用は、神からの召命、任命なくしては、それを全うする事はできない。キリストご自身も、ご自分から大祭司の務めに就かれたのではなく、神がそれをお与えになったのです。
3.キリストは全き服従を持って職務を成し遂げられた。・・「キリストは肉体を持って生きておられる間、ご自分を死から救い出す方に向かって大きな叫び声と涙とを持って祈りと願いを献げた。」これはゲッセマネでの極度の苦しみでした。「この杯を取り去って下さい・・・しかし、私の願いではなく御心がなされますように」と祈られた。そして杯を飲み干されたのです。ここに敬虔の故にと言う信仰を見る。「主は、御子であられるのに様々な苦しみによって従順を学ばれた」8節
人間の完成は、神様との合体、一致にあります。神の御旨の通りに生きる事、それに満足する。服従を学ぶために一番よい学科は、試練と苦難と肉的に喜べない環境におかれた時です。キリストは「・・十字架の死にまで従われました。」罪と死に勝利され、永遠の大祭司として贖いを成し遂げられた。私達「神のみ旨のとおりにして下さい」と神と一つになれるでしょうか。この様な偉大な大祭司を頂いているのですから、キリストの血によって開かれた恵みの御座に遠慮なく近づこうではありませんか。「見よ、今は恵みの時、救いの日です。」