2024年09月22日・礼拝メモ

成熟を目指して

聖書箇所: へブル人への手紙6章1~20節
9月に入っても猛暑が続き、年々異常気象が拡大され、人間が生きづらい環境となって参ります。
世の終わりが近い事を感じます。私達は自ら福音に生き、宣教の働きが進むことを祈って行きましょう。今日は、成熟を目指して進むようにと語られています。
Ⅰ警告・・・前章の終りの所で固い食物ではなく、乳が必要な幼子のような成長しないクリスチャンについて嘆いている。贖われて生まれかわり、信仰年月が経っていても、成長せず深い霊的な教えを受けられない初歩的な教えに留まっている幼稚な状態の人々には、あの大祭司メルキセデクについて説き明かしたいけれど中断せざるを得ないと。肉の世界は、年数が経てば成人となるが霊の世界は年数ではない。年数が短くても大人となるという事がある。霊的な感覚、洞察力、霊的貪欲、身についているかである。ですから成熟を目指して進もうと。成熟は完全とも訳されるキリスト者の完全です。それは知恵や力の完全でなく、欠点や過失無き、完全でもなく、愛の完全、信仰の完全、服従の完全です。神様が私達に求められている事です。罪の根を除き聖霊に満たされて、きよめられる事。罪の根である「不信仰な悪しき心」が残っていると堕落(背教)の危険があると成長のない信仰生活への警告が語られている。
Ⅱしかし神様は幼い信仰者を忘れない・・・なんという憐み、愛でしょうか。聖き食物を食べる事のできない霊の奧義を充分消化できないような霊的水準にあっても見捨てないと。なぜなら彼らが聖徒に仕えたその愛をお忘れにならないから。
Ⅲ希望が与えられている・・・➀希望=生けるのぞみは人の生涯に驚くべき力を与える。希望を持っている限り、人は敵(この世の霊・サタン)に敗れず困難が困難とならない。②希望が与えられているのですから信仰と忍耐によってアブラハムの如く約束の神の祝福を受け継ぐ者となろう。③希望は、錨のようなもの=この望みは信仰者にとり魂を安全に不動にする。困難や患難の嵐がおそって来ても動かされる事はない。また、この錨はイエス様です。死んで甦られた主は、諸処の天を通られ幕の内に入られた。そしてメルキセデクに等しい大祭司として神の右の座にて私達一人一人のためとりなして下さっているのです。ですから、成熟(完全)へ進みましょう。「天の父が完全であられるように、完全でありなさい」

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