2024年09月29日・礼拝メモ

教会の祈りの力

聖書箇所: 使徒の働き12章1~16節

猛暑の夏をこえ、少し凌ぎやすくなりまして、別府教会の小川先生を講師に林間聖会が持たれました。今日は「教会の祈りの大切さを学んで行きましょう。」二つのおことばを中心にお話をします。5節「こうしてペテロは閉じ込められていたが、教会は彼のために熱心な祈りをしていた。」12章12節、「それが分かったので、ペテロは、マルコと呼ばれている家に行った。そこには多くの人々が集まって、祈っていた。」最初釈放された彼に応対したロテは、ペテロの声を聞き、ペテロであると分かったので、喜びの余りに、門の外にペテロをそのままにし、中にいる人達に知らせに行った。それくらいペテロの声を聞いて驚き、躍り上がって喜んだのでしょう。祈っているとペテロの声であることが分かったと言うのです。祈りの慕わしさを思わせる一面です。教会は祈りの家でなければならない。祈る教会でなければならない。教会の最大の動力は祈祷であります。この力を最大限に発揮する集りでなければならない。聖霊に満たされた弟子達によって福音は非常な勢いで伝えられたが、迫害もまた厳しかった。使徒ヨハネの兄弟ヤコブが殺され、ペテロは牢にとらわれてしまった。しかしこのピンチに、皆で心合わせて祈祷に身を費やしていた。祈祷の前には大きな問題はなくなる。幾重の困難も打開されて行く。祈祷は神の御手御力を動かすものである。どのような時でも何事でも祈ろう。祈祷の応答については、神は色々の方法を持っておられます。神様は無尽蔵の答え方をもっておられます。ペテロのために祈った人はどんな思いを持っていたでしょうか。「祈っておく・・・とりあえず祈っておいて、神を待つ」その様な期待でしょうか。いや、どうしても聞いて頂かないと私達はやって行けないと切実な願いであったのではないでしょうか。後者のような切実さがうかがえるのです。ペテロは解放され、弟子達をたずね、門を叩いて多くの人々に、自分のしなければならないことをしている。神の働きを期待して、決して後退しない姿勢を持っていた。小生が救われた間もない時に教会では教会の前進のために、集まって切なる祈りがささげられていた。東京・丸の内の貸しビルの集会場から、渋谷の広尾に売り出されていた修道院を買い求める時のことでした。移るか否かの課題でしたが、見事に道が開かれて広尾に移り、そこで更に主都教会の働きが前進したことを思い出します。神様は、教会の一致の祈りに応えられる。

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