2024年10月06日・礼拝メモ

メルキセデクに倣う祭司

聖書箇所: へブル人への手紙7章1~28節
林聖早天で、へブル11章モーセの選択より。教報10月号一面メッセージは、へブル6章1節「成熟を目指して」。「つばさ」日々の聖句、先週はへブル書4~8章よりと。へブル書よりの語りかけが続いている。今朝もへブル7章より語られている。へブル書は、ユダヤ教とキリスト教の相違を明白にし、キリスト教がユダヤ教に勝っている事を伝える。ユダヤ教からキリスト教に移ったクリスチャンは激しい迫害に遭い、キリストを信じて損をしたように思い、ユダヤ教に戻ろうとする。その危険を防ぐ為に記された。メルキセデクはアブラハムの時突然出て来た律法の祭司よりずっと以前の祭司である。
Ⅰ「メルキセデクは」①サレム(平和の国)の王、義の王、祭司であると共に王である。そのような人は他にいない。②彼は「父も母もなく系図もない」一第限りの祭司で「永遠に祭司」である。Ⅱ アロンに勝る偉大な祭司・・・➀彼は、イスラエル民族の族長アブラハムから勝利品の十分の一を受け取っていた。その献げ物は神を畏れる証詞としてする重要な事であった。新約時代の私達も神への敬虔と感謝の告白として什一献金を行っている。②メルキセデクはアブラハムを祝福している‐目上の者が下の者に祝福をする。アブラハムより立場が上であった。③この時、祭司レビは父の腰にあって祝福を受けた。
Ⅲイエスはメルキセデクに倣う祭司・・・アロンにでなく、メルキセデクに倣う祭司が立てられたのは‐律法が変わった事により祭司も変わった。律法は罪を示すだけで無益な為、廃止された。どんなに宗教儀式をしても人の良心の釈放と自由は与えられませんでした。アロンの系図と全く異なったメルキセデクの位の祭司についた時、古き律法に変わり、愛の律法が与えられた。~すべしと命ずる律法ではなく、私の内に注がれ刻まれ動機づけられる愛の律法。私達礼拝を規則として守っているのではなく、神を愛する故に礼拝を献げ喜びと恵みを実感しているのではないでしょうか。キリストは死なず交代のない永遠の祭司としていつも生きておられ、私共の為にとりなしておられる。毎日いけにえを献げる事なく、生涯一度だけご自分を十字架に献げられ、贖いを永遠に全うされた。旧約の時代は人間を立てて大祭司にしたが、新約の時代、福音は御子イエスを立てて大祭司とした。十字架の贖いは人の罪を赦し、きよめ私達を完全に救うことができる。この大祭司なる主を見上げ信頼して行きましょう。

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