2024年11月03日・礼拝メモ
キリストの全き贖い
聖書箇所:へブル人への手紙9章11~28節
先週10月31日は宗教改革記念日で、みことばによる改革でした。御霊が私達にみことばの真理を解き明かしてみことばを種とし、生命とする信仰者でありたい。へブル書は、ユダヤ人の信徒への手紙であり、新約が旧約に勝る事。キリストの祭司職、神への犠牲が旧約に勝り、旧約時代に模型としていた事がキリストにより成熟した事を語っている。キリストは永遠の大祭司として天の幕屋に座し、神と人との仲保者として私達の弱さに同情できるお方で、私達のためとりなして下さっている。神は、新しい契約の実現としてペンテコステに聖霊を注ぎ律法を私達の心の肉碑に刻み込まれた。喜びと感謝をもって主の御旨に生きる者となる道を開かれた。
本日開かれた9章は、1~10節、旧約の幕屋は、来るべき良き事の影であり、福音の模型であった。十字架により、隔ての幕は打ち破られ、神との交流が全ての人に可能となった。
11節~26節は血による贖いについて語られている。
① 動物の血に勝る血・・・旧約時代は牛や御羊の血を献げた。しかしそれらは人の良心を完全にする事ができなかった。他の宗教儀式でも修業でも魂を潔めることはできない。
② キリストはご自分の血により、永遠の贖いを成就した。…私達の良心をきよめるのは唯一血が流れる事であり、それは傷無き汚れ無き神の御子キリストの血(血は命です)によるのです。私達はきよめられた時、はじめて本当の意味でこの世の死んだ行いから離れ、生ける神に仕える者と変わるのです。神に全的に信頼し、従う事ができないのは自分の頑張りが足りないからではなく、キリストの血によるきよめの体験が無いからです。きよめられ聖霊に満たされて勝利の生活に導かれるのです。旧約の大祭司は年に一度、動物の血を携えて聖所に入る事を繰り返していましたが、キリストは、唯一度だけ十字架にて完全な贖いを成し遂げられたのです。
③ 血による贖いは再臨の時のため・・・人間には、一度死ぬ事と死後にさばきを受ける事が定まっている。キリストが次に現われるのは罪を負う為ではなく、私達を救う為。つまり再臨の時、携挙に与からせて下さるためです。素晴らしい恵みを感謝し、きよきに生き、キリストの再臨を待ち望みつつ、十字架の愛に燃やされ、駆りたてられていきましょう。