2025年04月20日・礼拝メモ
手と脇腹を示された
聖書箇所: ヨハネの福音書20章19~31節
復活の朝を迎えましたが「もしキリストがよみがえらなかったら私達の信仰は空しく私達はなお自分の罪の中にいます」神様は、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったこと」を実現された。それは神の御子を燔祭の羊として十字架で身代わりの死を成し遂げられ、贖いの業が完了し、週のはじめの朝、キリストは死に勝ち、よみがえられ、新しい神の創造のみ業が始まった。今朝の聖書の箇所は復活の主が弟子達の中にご顕現された記事の3つの御言葉から語られています。
1)平安があなた方にあるように(3回)・・・弟子達はユダヤ人等を恐れて鍵をかけ、閉じこもっていると「平安があなた方にあるように」と彼らの前に現れた。主が与える平安は、どんな状況の中でも失われない。その平安を主は私達に与えて下さる。
2)イエスは彼らに手と脇腹を示された(20節)・・それは復活した主が確かにあの十字架にかけられた方である証拠。また、その傷跡は罪の贖いを完全に成し遂げ、あなたの罪を赦したと、愛を示されたもの。
3)信じない者ではなく信じる者になりなさい(27節)。前回居なかったトマスは、十字架上での主の最後の姿しか浮かばなかった。そのトマスにあなたの指をこの手に、脇腹にさし入れよ「信ずる者となりなさい。」と主は扱い下さった。トマスは思わずも「私の主、私の神」と声をあげた。そして「見ずに信ずる者は幸いである」と語られた。私達、聖書を通して信じ、実際、今もなお、生きておられる主と交わり、主の臨在の中に生きる幸いを体験している。復活の主は今も生きておられる。感謝!