2020年06月21日・礼拝メモ
窮地の中で貫いた信仰
聖書箇所:ヨブ記 1章13~22節
信仰者はいつも楽しいときばかりではなく、試練の時もあります。その時のために、心備えるには、今日のようなテキストもある事を感謝しましょう。(Ⅰコリント10:13)
<事件の報告>
第一の使いの報告、ある日、彼の息子、娘たちが、一番上の兄の家で食べたりぶどう酒飲んだりしていた時、シュバ人が襲いかかってこれを奪い取り、若い者たちを剣で撃ち殺しました。第二、第三、第四と続けて災難の報告です。一つでもギブアップしそうなこと。
- 悲しんだ―このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭を剃り、悲しい時には悲しむことは罪ではありません。主イエス・キリストも悲しい時には泣かれました。個人の死にも悲しまれました。祖国イスラエルのために、涙を流された。(ルカ19:41)今は天において、全世界の人のために涙を流して祈っておられます。(ヘブル5:7)
- 神を礼拝した―地にひれ伏して礼拝し
礼拝は自らが神に造られた者であることを認める行為です。24人の長老たちは、「御座に着いておられる方の前にひれ伏して、代々限りなく生きておられる方を礼拝した。」(ヨハネ黙示録 4章~5章) - 神の主権を認めた―「主が与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」全てのものは主が与えてくださった。
- 罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。
ヨブの信仰の態度は、私たちの教訓にならなければなりません。ヨブに素晴らしい信仰を与えた神は、我らの神でもあります。(ローマ書8:31~39)