2020年07月05日・礼拝メモ
友情の限界と、友情としての賜物
聖書箇所:ヨブ記 32章1~22節
- 新約聖書から、ヨブ記の要約を紹介できます。ヤコブ書5:11「見なさい。耐え忍んだ人達は幸いだとわたしは思います。あなた方はヨブの忍耐の事を聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、憐れみに満ちておられます。」もう少し詳しく(ヘブル書の12:5~11)
- ヨブの友人たちの素晴らしい友情。(ヨブ2:11~13)
ヨブの友人達は遠方から見舞いに駆けつけた。ヨブの悲惨な姿に嘆き沈黙し、7日間、悲しみを共にし、彼のそばに付き添った。それだけでも忍耐の賜物です。良き友は人生の宝です。それはヨブが神を恐れ誠実に生きた人柄によります。
- しかしその友情にも限界があった。
彼らのヨブに対する暖かい友情は、3章でヨブが激しく自分の生まれを呪う言葉(彼らにとって思いがけないことば)を聴くうちに、次第にヨブに対する批判的な思いに変わって行くのです(因果応報の法則・他持論)。なんとか立ち直らせたいと言う彼らの善意は、ヨブへの熱心な語りかけとなった。ところが、彼らが真心から熱心に語れば語るほど、その願いとは全く反対に、ヨブを苦しめ、ついには友情の危機が訪れるようになってしまったのです。「愛を持って真理を語る」(エペソ4:15)事の難しさ。エリフもまた、先の3人の友人に勝る勢いで、ヨブの心を立ち直らせようと迫るのですが,、真にヨブの心の救いにはなりませんでした。
- エリフは神の公儀と知恵の深さを示して話を閉じます。(ヨブ37:23~24)その結果、神の豊かな沈黙の恵みが、神の摂理の恵みが、両者を神の恵みに成長させて行くのです。