2020年08月02日・礼拝メモ
放蕩息子―弟息子の救い
聖書箇所:ルカの福音書 15章 1~24節
- 人が生きて行くために必要な事はそんなに沢山はありません。第一に神を信頼する事、第二に働く事、第三には家庭を形成する事です。全ての人が家庭を持つわけではありませんが、教会も神を信じた人達が、家族として営まれるところです。
- 今日は聖書の中でも有名な放蕩息子のたとえの話です。家を飛び出した弟息子の話です。「おとうさん。私に財産の分け前をください。」と言った。この発言は父が健在の時には言ってはならない言葉でした。しかし父はその財産を二人に分けてやりました。弟は早速、不動産(家畜)をお金に換え、遠い地へ行って、放蕩して、湯水のように金を使い果たしました。追い打ちをかけるように、飢饉があり、窮地に陥る。だれも雇ってくれません、とうとう人々が嫌う豚飼に落ちてしまった。そこでなつかしいふるさとでは父親と沢山の使用人が豊かに暮らしている姿を思い出し、神にも父にも罪を犯した事を悔い改め、雇い人の一人にしてもらおうと故郷に帰ることに致しました。
- 息子は立ち上がって、父のもとに帰っていった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を〈見つけ〉,〈かわいそうに思い〉,〈走り寄って〉彼を〈抱き〉,〈くちづけした〉5つの動詞の中に、帰ってきた息子に対する父の愛が躍動しています。沈黙の中に秘められた一連の条件が隠されてあるのです。それは救い主イエス様が、ご自分の生命を注いだ十字架と復活の救いを突きつけておられるのです。死んでいたのが生き返った。この時、息子はそれまで描いていた父親とは違う偉大な父なる神を知りました。