2020年08月30日・礼拝メモ
婚礼の礼服を着けないで
聖書箇所:マタイの福音書22章 1~14節
聖書の中で用いられた人物の中で、高齢になっていよいよ円熟して神に用いられた人物が何人かいます。モーセもその一人です。どうか私たちも神の御前に、自分の日を数えて、厳粛な生、生きる使命、喜び、感謝、を噛みしめたいものです。
- 今日のたとえ話は「王様の、自分の息子のために開いた結婚披露宴への招待」です。王子様の結婚のパーティーですから、お招きを受け取った人々は、どうして私がこのような光栄に預かれたのでしょう。とうとう私の番が回って来たのだ、しっかりしなさい。さあ、立ち上がろう。ところが招かれた人たちは皆、お断りしたと言うのです。
- この王様は気が良い王様で低調に案内をしますものですから、大変残念なことにすべて断られてしまった。それで王様は腹のそこから怒って、軍隊を整え、早馬の背中に兵士をくくりつけて、彼らの町を焼き滅ぼした。さらに町の広場で出会う人々を、片っ端から招きよせ、なんとかその準備をした。沢山の席が埋まりました。王様はまねいた人々を見渡した。するとたった一人、礼服を着けないで座っているではありませんか。天国に入るためには、神の備えて下さる礼服を付けないでは入れないのです。私たちが天国に入るための礼服は、鮮血に象徴された、真っ赤な私たちの罪と、イエス・キリストが十字架で身代わりの為にながされた真っ赤な血を意味しています。また、神の御子の身代わりによって、罪赦された真っ白な真心を意味しています。(イザヤ1:18)他に、純金の輝き(Ⅰペテロ1:7)、最高の香(雅歌8:14)