2021年05月09日・礼拝メモ
真の自由への解放
聖書箇所「ガラテヤ人への手紙5章1~15節」
オリンピックの開催が近づきました。2人の選手が練習に励んでいます。一方は、食事制限をし、規則正しく睡眠を取り、自制し、競技に励みます。それはまるで一見、がんじがらめの拘束された選手生活です。もう一方は、隠れてタバコを吸い、酒を飲み、すきなだけ食べ、夜更かしをし自由に楽しんで本番を迎えます。結果は一目瞭然です。クリスチャン生活は拘束された生涯のように思われますが、キリストによって自由が与えられ、神の備えて下さる栄冠を目指して、励む事ができます。
- 主は「あなたがたは真理を知り、真理はあなた方を自由にします。子(神の御子)があなたを自由にするならあなたは本当に自由になるのです。」と、そう言って姦淫の罪のために、断罪される女の人をその直前に釈放されました(ヨハネ8章)。さて、ガラテヤ地方のクリスチャンが直面した課題は、せっかく素直に救い主を迎えたが、いつの間にか、外側の肩書きや、しがらみ、習慣、そしてユダヤ教に戻ってしまう事が起こり、信仰が台無しになる危機に遭っていた事です。
- キリスト者の自由とは「神の御子キリスト・イエスによって、律法の束縛よりの解放、罪の束縛、心の暗闇から釈放され、真の自由を頂くことです。神に愛され、神を愛する動力の下に、人生の勝利の栄冠を目指す事なのです。理由は「神の御子キリストがいのちをかけて下さった十字架の愛を知った事によります。この事がキリストの贖いの神髄です。「キリストイエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。」(6節)