2021年05月16日・礼拝メモ
御霊の麗しい実
聖書箇所「ガラテヤ5章16~26節」
自由は神の手の中で・・・神抜きの自由は放縦に心を奪われるので気をつけよう。キリストが与える自由は、律法束縛からの自由と肉の行い(原罪)からの自由です。神の規律ある中で、人は本当の自由を体験させて頂きます。
- パウロはここで自由と御霊の関係を述べる。肉と御霊は互いに対立し、正反対の方向に向かわせる。救われていなければ、このような葛藤はありません。クリスチャンは世の人のような、自分のわがままを通さないのですから、わがままを突き通そうとする人には不自由のように思えるのです。
- 今日は神なしの自由は本当の祝福をもたらさないことを考えてみたいと思います。肉とは肉性生まれながらの、神を信じ受け入れない不従順(罪)ローマ書では、御霊の道は命と平安であり、肉の道は死と神への不従順の道である。この二つには妥協点はないと述べています。なぜなら、肉の思いは神に敵対するからです。それは神の律法には従いません。いや、従う事はできません。肉のうちにある者は神を喜ばせる事はできません。ガラテヤ書では鋭いことばで言い表しています。パウロはローマ書7章18~19節で、自分の心のうちに、肉と御霊の相対するもがあったことを証ししています。「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲と欲望とともに十字架につけるのです(聖潔)。」そして「御霊によって歩み続ける時、この麗しい実を結ぶことができる。」
- クリスチャン品性の実。神様との関係において、愛・喜び・平安、人への関わりにおいて寛容・親切・善意、自分自身に対しては誠実、柔和、自制の麗しい実を結ばせて頂きましょう。