2021年01月24日・礼拝メモ
私と私の家は主に仕える
聖書箇所「ヨシュア記 24章14~18節」
新しい年も前途多難ですが主が道を開き、希望を持って前進させて下さるように祈ります。旧約のヨシュアは新約では、救い主イエス・キリストの雛形です。信仰の継承が叫ばれています。身近な家族より教会に導かれる方が起こされる事は何よりの祝福です。
- 今日はヨシュアの決別説教の部分です。「わたしがモーセに約束したとおり、あなた方の足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなた方に与えている(1章3節)」の使命を果たし終える事ができました。そして遺言を伝えます。彼は野心がなく幻の人であった。カデシバルネヤの危機の時(民数記13章)は、カレブと共に神の御旨を信じて、希望と勇気を持って、「私たちは是非とも上って行って、そこを占領しましょう。」と語った。そして10人の反対に合い、押し切られても同胞と共に、38年の荒野の旅をしました。彼は何と忍耐深い人でしょうか。
- ヨシュア自身の証として「私と私の家は主に仕えてきた」と述べているのです。人間は堕落して神に背く罪人となってしまった。「人間が自分の好みで神を選んでよい」ではありません。十戒の第一は、「あなたには、わたし以外に、他の神々があってはならない。第二は、あなたは自分のために偶像を造ってはならない。・・・」「エジプト人の神々でも、カナン人の神々でもで選ぶがよい」とは神がどれほど偶像礼拝を忌み嫌いなされるかを、再認識する為のことばの言い回しです。
- ヨシュアは残された指導者に詰め寄り、誓約を持って遺言を伝えます。「主を選んで主に仕えることの証人はあなた方自身です。(22節)」コロナ禍でもう一度、受けた恵みをしっかりと噛みしめる一年間となりますように。