2021年03月07日・礼拝メモ
「買い戻しの権」を譲り受けるボアズ
聖書箇所「ルツ記4章1~10節」
ルツ記の鍵のことばは「安息」です。前半では(平和な暮らし(1:9)、後半では身の落ち着くところ(3:1)とあります。ボアズがその安息を失われたエリメレク家族に与えてくださったのです。
- エリメレクの親戚で一番近い買い戻しの権利のある人は一旦は引き受けますが、余りにも払う犠牲の大きさを知って辞退してしまいます。人は自分を損ねてまで隣人に愛を尽くすことはなかなかできません。この面でも「人にはできない事が、神にはできるのです。」(ルカ17:27)ボアズは買い戻しの権利を譲り受けて、エリメレクの産業を見事に買い戻しました。
- ところで、私達の救い主イエス・キリストはその生涯を投げ出して神の御位から人として人間社会に、更に十字架に迄、降りてきて下さったのです。「キリストは、神の御姿であられるのに、神としての在り方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくし、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿を持って現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。」(ピリピ2:8~9)何と言う驚くべき証言であり聖なるおことばでしょうか。
私達の生来の状態は、自分勝手に真愛の神に背を向け敵対して生きてきたのです。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受ける事ができず神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められる」(ローマ3:23~24)「神は御子を遣わし・・神がわたしたちを愛し、私達のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ4:9~10)御子により私たちの罪の贖いを成して下さった。ボアズはそのひな型です。