2021年03月28日・礼拝メモ
主の受けたはずかしめと苦しみ
聖書箇所「マタイの福音書27章15~38節」
年会の為にお祈りを感謝します。年会のメッセージは、ピリピ1章27~2章11節「キリストにあって一つ」主キリストの心を心と聖霊によって、私共も持たせて頂き、一つとなりましょう。
- 今日からパームサンデー、受難週に入ります。十字架に途上で、二回の裁判が持たれます。主はそこでも肉体的、精神的、霊的に苦しまれた。大祭司カヤパの元では、主は王であり、自ら再臨の主であるとの証言の故に、冒涜罪として十字架刑を言い渡されます。続くピラトの裁判では「キリストには罪がない事が分かっていながら、ユダヤ人たちの暴動を恐れて、裁判の正義が貫かれませんでした。
- ああ!主のはずかしめと苦しみはどれほどでしたか。肉体的にはとても尋常では耐えられない苦しみです。バラのとげ一本でも痛いですが、しかし主は、激しいむち打ちを耐えられ、十字架上ではイヌ釘を打たれてつるされたのです。また、精神的には人としての人格がズタズタに切り裂かれるような、はずかしめ・からかい・羞恥を受けました。「着ていた着物を脱がされ、緋色のマントを着せられ、茨の冠をかぶらされ、右手に葦の棒をもたされ、ユダヤ人の王万歳!と、からかいながら唾を吐きかけられ、葦の棒で叩かれた(27章28~30節)」
- しかし一番の苦しみの極地は神との離別・断絶でした。御父も御子も、ただひたすら人の罪を赦し、神の国に招き迎い入れるために極限まで苦しまれ、その暁の先に私達の救いがある事を覚えましょう。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。わが神、わが神どうして、わたしをお見捨てになさったのですか」(マタイ27章46節)これほどまでも注がれた尊い神の御愛を噛みしめます。