2021年06月20日・礼拝メモ
ナザレのイエスの名によって立ち・歩く
聖書箇所「使徒の働き3章1~10節」
先月から使徒の働き2章から4回のメッセージが語られました。「聖霊に満たされる事の必要を覚えて満たされることを求めて生きましょう」というのが全体の趣旨です。
- 教会の出発に当り大収穫、その日3000人ほどが仲間に加えられた。そして、全ての人に神を恐れる恐れが起こった。神を恐れる事は敬虔の最も基本的な姿勢です。恐れを抱くよりも、余りにも偉大な神ご自身の故に、深い愛のご配慮と、溢れる恵みに、主の御側が幸いで、親わしい。大切な事は、初代教会のスタートはこのような素晴らしいスタートであった事です。
- 1) 生まれつき足の不自由な人の姿は、せっかく神の宮まで運んで頂きながら、心から礼拝に加われない姿です。友人や牧師に声をかけられて、教会の集会に励むのではなく、自発的に自分の足と意志を持って集会に励む事はとても大切な心掛けです。
- 2)「金銀はない、しかし私にあるものをあげよう。」金銀は一時的な解決でしかない。この人に必要なものは、足が癒され、自分で生きていけるようになる事です。
- 3)「ナザレのイエス・キリストの名によって、立ち上がり・歩きなさい。」主は人間の問題の根本に触れて下さる。足が癒されただけでなく、罪の救いの解決を与えて下さった。
- 4)「神を讃美しつつ2人と一緒に宮に入って行った」この奇跡のすばらしさは彼の心の中に神への信仰が与えられ、神様を讃美し、ペテロたちとともに祈りの場へ加わる者となった。
現代も聖霊に満たされた人を通して力強い聖霊のお働きが進められていく。(使徒1章8節)