2021年08月22日・礼拝メモ
パウロの回心
聖書箇所「使徒の働き9章1~19節」
9章よりパウロ(サウロ)が登場します。命がけで迫害を試みたサウロが主イエスに出会い、罪を示され、逆に主イエス様を信じて受け入れると言う回心の奇跡が起こりました。
- 何がこれほどまでに、サウロをキリスト教徒の迫害に駆り立てたのだろうか。それは、キリスト教を迫害する事が、真の唯一の神に対する忠誠を尽くす行為であると確信していたからである。彼の考えからすれば、十字架にかけられるような者は、呪われた者である。それがよみがえられたのだ、神であるのだと言うことほど冒涜的なことはないと信じていたからである。
- 迫害者ソウロへの顕現、ダマスコの町に入る直前に、突然天からの光が彼のまわりを照らした。イエス様は教会や信徒達の痛みをご自分の痛みとして受けられていたのです。この迫害者をダマスコの町に入る前に、彼を捕らえられたのです。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか、わたしは、あなたが迫害しているイエスである。4節」彼が聞いたのは主イエス様の声でした。余りにも突然の出来事でした。
倒れたサウロ、サウロの心は主イエス様に罪を示され、盲目と断食の三日間を過ごし、主キリストに立ち返る貴重な時でした。アナニヤは彼の回心に立ち会った器でありますが、彼もまた神の声、「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に、運ぶわたしの選びの器です16節」を聞き、彼の回心に立ち会うのです。私たちの回心はサウロのような劇的ものではないかも知れません。しかし、1人1人特色がありまた尊いのです。自分の罪を認め、主イエス様の十字架の赦しを信じて主を受け入れた時がその出発点です。