2021年10月10日・礼拝メモ

ラザロよ、出てきなさい

聖書箇所「ヨハネの福音書11章32~44節」

 今日は召天者記念礼拝です。キリスト教会には復活の希望がある。ベタニヤの家庭は、主がエルサレムに行かれる途中、度々立ち寄ってくつろがれた所で、思い起こすだけで和やかな雰囲気がただよってくる。そんな家庭に突如襲ったラザロの病です。

1) ラザロの死の現実。「この病は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります(4節)」とお言葉を送る。ラザロは、死んで墓に葬られ、4日も経ていた。「主よ、もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう。」マルタとマリヤは、主は必ず来られて、ラザロの病気を癒して下さったに違いないと期待していたのだが、その無念さと残念さを表わし、死の悲しみの現実に包まれるのです。主は涙を流し悶え、霊の憤りを持たれた。

2)ラザロの復活。「信じるなら神の栄光を見るとあなたに言ったではではありませんか(40節)」人間の理性と常識の判断で、神が遣わされた御子を制限してはならない。多くの信仰者が陥る失敗がここに記されています。イエス様は不信仰の象徴であるこの石を除くように命じられ、そして確認・確信し、幼子の様に天の御父に向かって祈られた。そして「ラザロよ、出てきなさい」と大声で叫ばれた。ガリラヤ湖の暴風を叱り静めた御力は、この度も人間の死の現実に対して、神の栄光を表わし、一旦は亡骸になったご遺体を再び元の肉体に戻されたのです。復活の信仰は様々の困難や試練に直面させられる時に、生き生きと働く主の言葉として、その威力を発揮し、復活の主の常住的な同行につながるのです。私たちも不信仰の石を取り除き、全能の主への信仰により、明るい将来を期待して、更に残された生涯を、主と共に進み行きましょう。

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