2022年02月27日・礼拝メモ
主イエスの権威と力ある業
聖書箇所「マルコの福音書1章21~28節」
序、「凍り渡り」-放射冷却により雪の表面が凍り、雪の上を歩けるようになる。一面の銀世界で、田畑の中、道でない所を歩く体験を子供さん達にさせたい。
1)主は権威ある者として語られた。
主は安息日にカペナウムの会堂で人々を教え始められた。主は神なる方であられる。それ故、その言葉は力があり、律法学者のようではなく、権威ある者のように教えられた。神的権威をもって語られたので人々は驚いた。何を語ったかは省略されていますが、おそらくマタイの5~7章の山上の説教の一部かもしれません。マタイの山上の説教の締めくくりは、「イエスが律法学者達のようではなく、権威ある者として教えられたからである。」とある。その神的権威に、聞いていた人々は非常に驚いた。
2)悪霊との戦いに対座され、勝利された御方。
特に「黙れ。この人から出て行け」と命じられました。神の御子として権威と力を持って臨み、悪魔に勝利しています。「悪魔」とか「悪霊」という言葉が、どうしてこれほどまでに、福音書に書かれているのでしょうか。サタンが主イエス様の働きを警戒し、これに対して攻撃を仕掛けて来たのです。主がサタンの誘惑を受けられたのも、罪の身代わりを避け、その生涯を閉じるようにと、御子イエス様を狙っていたのです。悪魔を追い出したイエス様の評判がたちまちガリラヤ周辺に広まった。(宣教の御業の進展)どうか、このように今年の伝道が進む事を、祈ろうではありませんか。キリストの伝道は人格運動です。皆さん一人一人、きよめられ「主の愛に満たされて生きている」その事がベースになければならない。単なる事業に終わってしまいます。過去の失敗を悔い改め、聖霊に満たされましょう。