2022年03月13日・礼拝メモ

わたしの心だ きよくなれ

聖書箇所「マルコの福音書1章40~45節」

序、罪とは衣服についた染みのような汚点ではありません。真実を持っていのちを授けて下さった、御父の愛を無視し、サタンの支配のもとに、神の聖に背いたわがままな思い、汚れ、妬み、反抗の意志表示で、滅び以外の何ものでもありません。

1)  ツァラアトによる苦悩
当時、ツァラアトになった人々の状況は、悲惨なものでした。肉体をむしばむ病気に加え、社会から隔離され、卑しめられていた。レビ記には「ツァラアトを病んでいる人は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口をおおい「汚れている 汚れている」と叫ばなければならない。」それはツァラアトに犯された人のような心の汚れの実体をも表現しています。

2) イエスの癒し
「イエス様は深く憐れみ、手を伸ばして、彼にさわってくださった。(41節)主イエス様は、自ら汚れた罪人のところに来られ深く哀れみ、手を差し伸べて、その手を取り、触れてくださった。「わたしの心だ、きよくなれ」これはイエスキリストの心底の御意志です。主イエス様は繰り返された旧約の動物の血に勝る、聖い神の御子の血潮を持って、長い旧約の時代にピリオドを付け、私たちの罪の代価となり、きよめの恵みに至らせる。

3) 祭司に見せなさい‐祭司は聖くなった事を宣言する
レビ記14章1~32節(ツァラアトのきよめ儀式)23回以上「きよめ」と言う言葉が出てきます。イエス様は毎年繰り返された旧約時代の長い儀式からではなく、ご自身を通してきよめ、聖くなった事を証詞させるため、あえて「祭司に見せよ」と言った。

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