2022年06月26日・礼拝メモ

キリストにあって一つの体

聖書箇所「ローマ人への手紙12章3~21節」

先週は救われた私達は、献身を持って神に仕え、この世に調子を合わせてはならない事に心を留めました。今日は自分に対して謙遜に生きる事を語られています。

1)高ぶリは滅びに先立つ。
箴言18章12節「人の心の高慢は破滅に先立ち。謙遜は栄誉に先立つ。」高ぶった思いや、自分こそ知者だなどと思わないことです。主は最後の晩餐の時、弟子達の足を洗い、僕として仕えられた。神の御子なる方が、自ら進んで模範を示されました。私たちも謙り、神の御前には罪人であり、神の憐みにより、その罪が赦され、聖なる神との交流をさせて頂いている事をはっきりと認識する必要があります。いつの間にか思い上がっていないでしょうか。

2)教会はキリストの体であり、一人一人は互いに器官なのです。
愛には偽りがあってはなりません。兄弟愛を持って互いに愛し合い、互いに相手を優れたものとして尊敬しなさい。卑しい者に、神の愛が注がれ、積極的に愛の実践者として、聖なるキリストの体の一部分を担わせて頂いているに過ぎないことを十分に弁える謙遜な態度が必要です。

3)謙遜と謙虚は微妙に違います。救われる事は神の御前に悔い改めの実を結ぶことで、謙虚になるのです。ですから謙遜の実質を得たのです。「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。」の御言葉に生きる者となりましょう。ペテロは「生ける望み」を朽ちることのない資産を受け継ぐ事として伝えています。どのような状況でも「望みを抱いて喜ぶ」ことができる事は幸いです。

「御座におられる小羊は彼らを牧し、いのちの水に導かれる。また、神は彼らの目から、涙をことごとく拭い取ってくださる。」(ヨハネ黙示録7章16~17節)

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