2022年08月07日・礼拝メモ

教会の首(かしら)なるキリスト

聖書箇所「コロサイ人への手紙1章9節~23節」

パウロのお手紙はガラテヤ書を除いて、挨拶は感謝と祈りを持って始められています。コロサイの教会とエパフラスは(彼は教会の誕生に関わる人物です)パウロ自身が直接伝道して産みだした教会ではありませんが、主イエスに対する信仰が自分たちだけではなく広い視野に立った兄弟愛にもたらされていた。また、本当に将来への希望に満ちていたのです。

1)13節からは教えの部分です。
御父は、私たちを暗黒の力から救い出して、愛する御子ご支配の中に移して下さいました。「神は愛」それは、暗黒の世界に御子を送り、私達を暗黒から光の世界へ移し替えてくださった事に尽きる。御子は、「贖い」つまり罪の赦し(十字架による)御子は罪の代償を払ってくださった。御子にとって十字架は尋常でない痛みと苦しみでした。また御子は見えない神のかたちであり、御父と共に創造者です。「万物は御子によって造られ御子のために造られました」15~16節。また、御子はそのからだである教会のかしらである。これがコロサイ書の強調点です。(18節)

2)教会はかしらなるキリストのからだとして、貴い使命を託された集まりであります。
その使命はキリストの来臨(私達にとって再臨)の時に一人でも多くの者が「聖なる者、傷の無い者、責められるところの無い者(22節)」として御前に立たせて頂くこと。キリストの血潮によってきよめれ、それは行為としての完全ではなく、「神に愛され、神を愛する」事を土台として成長をさせて頂く、 きよめの生涯です。「神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめて下さいます。」(第Ⅰヨハネ1章9節)

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