2022年10月16日・礼拝メモ
パン種なしの礼拝として
聖書箇所「第Ⅰコリント人への手紙5章1~13節」
インマヌエルの教団は77年前(1945年10月21日)敗戦の焼け野原から6人の牧師の熱心な祈りを通し、誕生した群であります。
- 聖=聖書信仰 聖書は誤りなき神の言葉として信じています。また、聖潔の宣証実践=瞬時的な転機と継続的な歩み(全き聖化教団憲法12条)を意味しています。宣=「世界は我が教区」(J・ウエスレーの言葉です)日本の国内に留まらす世界的視野に立った伝道を実践しています。教会の腐敗 コリント教会は様々な課題が有りました。5章は分派の争い、道徳的不品行、近親相姦に移ります。この課題に対してコリント教会は恥じるどころか正当化するような態度でした。パウロは使徒的権威を持って、判決を下し「サタンに引き渡した、肉が滅びるために」しかしパウロの裁きは、真実な愛の涙を持って、救済的であり、決して破壊的でなかったのです。
- パン種を取り除く パン種はわずかでも、生地全体に蔓延します。8節「悪意と不正のパン種」どんなに小さく見えても教会に存在するのを許してはならない。厳しい様ですが古きパン種は取り除かなければならない。物わかりの良い寛大な態度を罪に対して取る限り、教会は腐敗します。イスラエルの民はカデシバルネヤの危機を迎え、神の御旨に逆らい、カレブとヨシュアを除き、1代目の信仰者は約束のカナンに入れず、荒野で滅びたのです。
- 聖化の恵み 出エジプトの時、葬られた子羊の血により滅びを免れた。そのように我らの過越の子羊キリストの十字架の血により、贖いにより、救われたイスラエルの民が種入れないパンを食べたように、教会も「古きパン種」悪意と邪悪のパン種から脱して聖潔と真実の生涯を送るべきです