2023年02月26日・礼拝メモ

砕かれた器

聖書箇所「エレミヤ書18章1~10節」

主牧の快復の為にお祈り頂いていますが、主牧が大怪我をしたその事に在って、神様が語っておられる事をお伝えします。

エレミヤの預言はユダの滅亡とバビロンに降伏する事であった。人々には心地良いメッセージでなかったので彼は反感をかい、迫害を受け、エジプトで殺害された。しかし、神の計画は、ユダ王国とその民を陶器師が思い通りでない器を壊して他の器に作り替える。そのように、神はなさると。

Ⅰ 神は器を壊される(砕かれる)・・・人は物を壊さないように気を配る。しかし、神は御旨にかなわない器であるなら、愛の故に砕かれる。➀ダビデはナタンに「あなたからその男です!」と罪を示された時、プライドもメンツも捨てて砕かれ罪を認めた。「神へのいけにえは、砕かれた霊・・」詩51・7 ②イザヤは、神殿にて聖臨在の場で神を見た時、自分の汚れを知らされ砕かれた。③ヤコブはペヌエルにて神と相撲を取り、腿のつがいを外され、押しのける者が砕かれた。

Ⅱ 他の器に作り替えられる・・・神様が砕く目的は神の御旨にかなった器に作り替えるため、不純物を取り除き(世を愛する心を)砕いてよく練って柔らかくし(砕かれていない自我)造り替えられる。しかし、イエス様も私達の罪の為に御体を裂かれた(砕かれた)。

Ⅲ 神の御手の中で・・・御手の中に在ることは大きな恵みである。19章では、焼き上がった器は砕いて2度と造り直すことなく捨てられる(全く滅ぼされる)。しかし、御手の中に在ることは、まだ希望の余地、選択の余地が与えられている。「今は恵みの時、今は救いの日です」神様は心砕かれた者を造り変えて、主が再び来られる再臨の時に御前に聖く、傷なく、汚れなく、責められる事のない御前に出られる者になるようにと願っておられる。

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