2023年04月02日・礼拝メモ

主の御受難による恵み

聖書箇所「イザヤ書53章全」

今日はパームサンデー(棕梠の聖日)を迎えています。2000余年前、主イエス様は子ろばに乗られ堂々とエルサレムに入城されました。謙った平和の王を表す為でした。人々が「ホサナ、ホサナ」と歓迎したのは政治的な王として迎えたからです。しかし、人々のその喜びの声は、パリサイ人達には憎悪の思いをかきたてる事となっていき、その週のうちに主は御受難の道を辿っていくのです。その御受難については700年も前にイザヤによって明確に預言されていました。その預言より主の御受難の奧義とその恵について4つの事を。

➀人々の不信仰とキリストの悲しみ・・主は多くのしるしを人々の前で行われたが、彼らは主を受け入れず、彼はひこばえのようにエッサイの根幹から生え出た。外見は何の魅力もないむしろ人々から賎しまれ、のけものとされ、小さなベツレヘムに生まれナザレの卑しい境遇のなかで神の前に成長した。悲しみの人で人々の痛みを知る人として成長された。
②我らの身代わりの苦しみ・・彼は人々に侮られ、捨てられ、十字架につけられました。それは、私共の罪を呪われた者として、その身に負われた事により、あがないを成し遂げて下さいました。その打ち傷のゆえに私たちは癒された。
③従順な神の子羊として十字架にかかられた・・私達は自分勝手な道に向かい迷った羊であったが主は従順な罪祭の子羊としてほふられた。犠牲の子羊として神の御計画の為に死に至るまで従われた。
④死の結果の勝利・・「家つくりの捨てたる石はすみの親石となった」神の御子を人々が軽んじて十字架につけた。そのため、全人類のあがないの業が完了した。これこそ十字架による勝利。主は自分の魂の激しい苦しみの後を見て満足されている。主はご自分の血によって全ての人の永遠の贖いを成し遂げられた。
「血を流すことなければ罪の赦しはありません」。

Copyright© 2024 インマヌエル湘南中央キリスト教会 All Rights Reserved.