2023年04月09日・礼拝メモ

復活の主にお会いしたか

聖書箇所「ルカの福音書24章13~35節」

主の復活は十字架の事実と共に私共の信仰の重要な根拠です。キリストの十字架は復活があって贖いが成就した。「キリストがよみがえらなかったなら、私たちの宣教は空しくあなた方の信仰も空しいものとなる。あなた方はまだ自分の罪の中にあり、罪の解決はない」第一コリント15章 イエスの死と復活は私たちの心の中に大きな変化をもたらしました。私達の宣教のメッセージはキリストの十字架と復活で、私たちはその証人です。復活された主は13回ご顕現した。今日はエマオへ行く道で、主にお会いした弟子の記事に心を留める。彼らの師であった方が十字架で死なれ、その上、葬った墓は空っぽであったという事で彼らの心はゆれ動いていた。彼らの心の動きについて、おことばより3点

➀ 2人の目はさえぎられていて(16節)(これは実際の目のことではなく、霊の目の事)・・彼らは、主はイスラエル国をローマの属国より救い出して新王国を築かれるメシヤと期待していた。その方が刑罰で死なれた事で大きな悲しみ失望に陥った。すでに復活された事を聞いていたが信じられず喪失感と失意で暗かった。そんな彼らに主は自ら近づかれた。主は「どうしたのか-その話は何のことなのか」(悩んでいる問題、課題は何なのか)とご介入下さる方、だが彼らは、その方より問題に心がとらわれていて、誰だかわからなかった。しかし、やがてその目が開かれていく。

② 心は内に燃えていった(32節)・・復活の主による聖書の解き明かし、預言が、全てイエスにより成就されたと正しく理解するように主は真理を解き明かされ、不信仰により落ち込んでいた心が燃やされていった。今も主は御言葉を通して語られ、聖霊は真理を示される。心燃やされ続けたい。

③ 彼らの目が開かれ(31節)・・彼らは主を引きとめ宿にて食事を共にした。そして主がパンを取り裂いて彼らに渡された時、彼らの心の目が開かれ、その方が復活の主と分かった。信仰は疑いを吹き払う、主に出会った時、彼らは直ちに立ち上がり、今来た道をUターンして、その使命のエルサレムに帰り、主の復活の証人となった。私達下っていく道を進んでいないか、主は今も生きて、近づいて語りかけ心燃え、霊の目が開かせて下さる。Uターンし、栄光の道へと進んで行こう。今も生ける主に出会いましたか。

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