2023年04月16日・礼拝メモ

見ないで信じる人は幸い

聖書箇所「ヨハネ20章19~31節」

 復活の主は、40日の間、人々に現れなさった。(12回に及んで)主の復活のご顕現の目的は何であったのか?思いめぐらし、みことばを通し、語られている事をお分かちさせて頂く。今日の箇所の主のご顕現の目的は、弟子達に復活の信仰をはっきり持つようにと。復活の信仰の確立のためでした。19節の「その日」とは、主がマグダラのマリヤに現れなさり、マリヤがその事を伝えたのでした。彼らは、それを信じなかった。彼らはユダヤ人らを恐れて戸に鍵をかけ、人々の批判や攻撃をうけぬよう隠れていた。不信仰は不安や心配でいっぱいになっていく。そして、事に対して消極的になってしまう。自分を守る事で外に出られず内にこもる。そんな弟子達の所に主は、突然現れなさった。驚く弟子達に4つの事を与えられた。

1.平安です・・平安があなた方にあるように・・・と3回。すでに「世が与えるのとは違う私の平安を与える」と約束して下さっていた主よりの平安を信仰によって与えて下さると。
2.使命を与えた・・父が私を遣わされたようにわたしもあなたがたを遣わします。それは、神からの派遣でした。主がこの世に来られて果たされた働きの継承が(神の国を伝える)彼らの使命であった。また私たちの使命でもあります。
3.「聖霊を受けなさい」との命令・・人々の救いと滅びは私達の信仰と宣教の働きにかかっているその使命を果たすにはどうしても必要なもの、それは聖霊、これはペンテコステにて明確に実現された。
4.復活信仰の確立・・これこそ主のご顕現の最大の目的。主はご自分が十字架に付けられ死に墓に葬られたイエスである事を、その手と脇腹とを見せて証詞された。弟子達は疑いが無くなり、主を見て喜んだ。不信仰は心を曇らせ信仰は希望と喜びと力に満たす。しかし、トマスはこのチャンスを逃し、信じなかった。トマスに対しても主はその手と脇腹を示し「信じない者ではなく信じる者」となりなさいと。トマスが納得するまで実証され彼の信仰の目を覚まされた。私達は、2000年前の復活の主を見てはいないが「見ないで信じる幸い」を体験している。主は、私達にも平安と使命そして聖霊を与え、「復活の証人」として下さいます。

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