2023年05月07日・礼拝メモ

宣教大命令

聖書箇所「マタイの福音書28章16~20節」

本書はイエスこそ預言され約束された王なるメシヤである事を伝えている。本日は、マタイの福音書全体のクライマックスの箇所です。その内容について3点

Ⅰガリラヤでの礼拝・・弟子達はガリラヤの山にて主にお会いした時、主を礼拝した。(大きな変化である)すでに主が誕生された時、「東の博士達は、ユダヤの王としてお生まれになった方はどこに?」と礼拝を献げに来た。彼ら(異邦人)の信仰の目はユダヤの人々よりはるか早く開かれていた。弟子達は数多くのしるしを見、数多くの教えを聞き、「生ける神の子キリスト」と告白するに至ったが、その方が十字架につけられ殺されて失望、落胆し、メシヤへの期待も失われた。しかし、その方が復活されてはじめて、イエスを神より油注がれたメシヤと畏れおののいて礼拝を献げた。それでもなお「疑う者もいた」
Ⅱ宣教命令・・主の宣教命令の土台それは権威。神は、復活の主に天地のすべての権威を与え、その権威を基に弟子達を再び宣教に遣わされた。命令の内容は-人々をキリストの弟子とする。その方法は、
➀出ていく・・私共は家庭へ、職場へ、社会へと人々の中へキリストの福音を伝える為に遣わされていく。
②バプテスマを授ける・・救われた人々がキリストの弟子として生きていくと決意の告白をする儀式を父子聖霊(三位一体の神)の名において授ける。
③教える・・キリストの弟子として成長するために聖書のことばを教える。みことばに養われ、扱われ、古き人より新しきキリストの心の在り方を着ていく、変えられていく。そしてその宣教の範囲は「あらゆる国の人々」ユダヤ人だけでなく、異邦人も、全世界の人々へ。
Ⅲ約束・・「わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいます」20節。大きな使命を与えられた私共ですが自分ではとても果たし得ない実情です。しかしすべての権威を持つ主が共に居て下さる。その復活の力をもって、宣教にたずさわる私達と主は共に働いて下さる。神の臨在こそ私達の信仰の働きの鍵です。

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