2023年05月14日・礼拝メモ

心配しなくてよいのです

聖書箇所「マタイの福音書6章19~34節」

今朝の野外礼拝は天候不良によりチャペルでいつもの礼拝となりました。山上の垂訓からのメッセージです。主が山の上で自然に囲まれ乍ら語られた時の事を思い浮かべての礼拝とさせて頂きましょう。主は何故、山の上で説教なされたのでしょう。主は宣教を開始し、ガリラヤ全地を巡り会堂で御国の福音を伝え、民等の病や患いを直された。その結果、大群衆が来てイエスにつき従った。その大群衆のため充分な場所として山に登られた。また多くの人全人類への教え、神の国の律法、山上の垂訓を厳粛に語られた。それは権威ある者として教えられたので群衆はその教えに驚いた。今日はその中の6章後半より

Ⅰ 神と宮について・・人が日々何に愛着し何を大切にしているかは、その人の人生と在り方(品性)を決定する大切な問題である。主は「自分のために地上に宝を蓄えず天に宝を蓄えなさい」と。また、「あなたの宝のある所にあなたの心もある」と心の目が天に向けられているなら(心の目とは、心の動機)心に光が入って来て全身が明るくなる。「私達は、以前は暗闇でしたが、今は主に在り光となった」エペソ15:8と言うことができる。光はホーリネスの恵みに導く「栄光から栄光へ主の御霊によって主と同じかたちに姿を変える」主は「神と富2人の主人に仕えることはできない」と語られた。どちらを選ぶか。それは「永遠に関わる生命と死への分岐点です」この世の物に仕えていくと思い煩いに引き込まれていく。ですから主は
Ⅱ 心配しなくても良いと・・主は「なぜ心配するのか」と数回にわたって問われ。衣食のことで心配するのはやめなさいと譴責された。それは神への不信の悪しき罪となる。主は空の鳥や野の花を指してこんなものまで神は養い装って下さるのだからあなた方にもっと良くして下さらないことはない、信仰の薄い人たちと。ですから心配しないで 
Ⅲ まず神の国と神の義を求めなさいと・・不信仰は神がおられる事実を認めず見える事柄により事を判断する。神様の事実に信仰の目を移し、神様を全的に信頼し服従する(神の御支配に身を明け渡す)ことを勧めています。神の国とは、神が王として支配される所です。そうすれば私達の必要をご存知の神は必要の全てを与えて下さる方、ですから明日の為の心配は無用です。有限の世界に在りながら無限の生命の世界に生きる事を求めましょう。

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