2023年06月04日・礼拝メモ

水のほとりに植えられた木

聖書箇所「エレミヤ記17章1~10節」

台風一過の朝、久しぶりの野外礼拝の恵みに感謝です。今日は、「涙の預言者エレミヤ」の預言書からの語りかけです。エレミヤはユダ王国の滅亡について預言した。本日は人の罪について(1~4節)、主に信頼する者の幸い(5~8節)、神を畏れよう(9~10節)の3点より

Ⅰ 人の罪について
「ユダの罪は」とありますが、ユダの罪はとても消し去ることのできない程の深いものであると指摘しています。鉄の筆と金剛石(ダイヤ)の先端で文字を刻んで記した。それは、堅い「彼らの心の板」。また「彼らの祭壇の角」に刻まれた罪は決して赦される事ない。彼らの偶像礼拝は彼らの子供に迄、影響していると。「野にあるわたしの山」とは、エルサレムの都の事です。神様は罪の故に、全ての財宝、全ての宝物を戦利品としてバビロンに引き渡す。そして、約束により与えられた乳と蜜との流れるカナンの地も神の怒りの火により滅亡する。ユダ王国は絶望的です。しかし私達には希望がある。「イエスの血による贖いの罪の赦し、聖潔」です。

Ⅱ 神を信頼する者の幸い
偶像礼拝とは、人を信頼し、人の力、肉の力に頼る事。心が神から離れている。そのようなものは荒れ地の灌木、それには命がない。魂は枯れ果てている。主に信頼する者は「水のほとりに植えられた木」のように流れのほとりに根を伸ばし・・実を結ぶ。尽きない水源を持つものは幸いです。日照りの年にも(どんな試練が来ても)心配ない。

Ⅲ 神様を畏れよう(神は審かれる)
人の心は何よりもねじ曲がって、それは癒しがたいと。神様は人の心を探り、心の奧を試す、神は一人一人の生き方、行いの実により報いられる。人は蒔いたものは刈り取る。心の奧をご存知の「神を畏れてその聖きを成就」Iコリント7:1させて頂きましょう。
空しいこの世の肉の力に頼らずに永遠の生命の水を注がれる主に信頼し、心の奥底までご存知の御方の御前に聖霊に満たされて、真実な歩みをさせて頂きましょう。

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