2023年06月25日・礼拝メモ

私にあるものを

聖書箇所「使徒の働き3章1節~16節」 

 聖霊に満たされた弟子達の大きな変貌は1節に現わされている。「午後の3時の祈りの時」定められた時と場所に行き祈りに専念する。規則正しいメソジカルな生活が覗える。この湘南教会も英国のジョンウェスレーから始まった「メソジスト」の教会です。ペテロ達が宮に入った所、入口に「生れつき足の不自由な人が運ばれてきた。そしてこの人が癒される。最初の奇跡です。この記事より3つの事を。
Ⅰ 足の不自由な人について・・彼は40歳過ぎの男性であった。彼は毎日誰かの介助により神殿の入口に置いてもらい人々の施しを受けて生活していた。あわれな人生でした。彼が得るものはわずかな金銭であり、根本的解決はなされずに来た。現代も多くの人が諸々の課題をかかえ悩む時代であるがこの世のものに真の解決はない。
Ⅱ 私にあるものを・・・ペテロとヨハネは、その人に目を留めた。そして「私たちを見なさい」と。大胆で確信に満ちた姿です。この人はきっと施しをもらえるだろうと期待して2人を見つめました。とごろが「金銀はない。しかし、私にあるものをあげよう」と。それは、神様の臨在、-常に主を我前におく歩み。ーまた神が内に住んでおられるという聖霊の証詞。この世のもの以上のもの、それをあなたにあげよう!と。
Ⅲイエスの名への信仰・・・彼らは「イエスの名によって立ち上がり歩きなさい」と言った。たちまち、躍り上がって立ち、歩き出した。飛び跳ねたりも。全く癒された。この奇跡の源は、イエスの名であり、御名を信じる信仰です。圧倒的な勝利をもって死より蘇られたキリスト、その方の御名がこの人を回復させた。イエスの御名は権威、力、命、そのものを表す。その御名を呼ぶ者は救われる。今まで物乞いしていた人が自分の足で歩き、「神を賛美しつつ宮へ入って行った」彼は救われて、信仰者として教会に加えられた。私達も御名によって救われ変えられた者です。イエス様の御名は生きる力と希望と愛を与えてくれます。人生が悲しみ、辛さ、ハンディがあると感じる人ほど神様のすばらしさを表すチャンスが多いのです。「私にあるもの」とは共に居て下さる方の御名への信仰です。

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