2023年07月09日・礼拝メモ

わたしは新しい事を行う

聖書箇所「イザヤ書43章10~21節」 

上半期の感謝をもって越え下半期の歩みに進みますに当たり神様は、「わたしは新しい事を行う」と語られています。3つの事について。
1.新しい事をなさる神はどんな方か・・・神様より自己紹介されている。創造者なる神(1節、7節)それは関係だけでなく、魂の新創造も。・贖い主(1節、14節)、・我らの主である方(3節、11節)・イスラエルの聖なる者(3節、14節、15節)、・救い主(3節、11節)、・王であられる方(15節)このような神様が卑しく罪深い、神様を裏切る者に対し深い愛を下さっている「わたしの目には、あなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している」。
2.私達は、神の証人である・・・私達は贖われ救われた者、この方以外に救い主はいない事を体験させて頂いた。また、神様は、イスラエル民族、また私達をご自身の栄光の為に造られた。しかし、この民は、神様に絶えず不従順であった。それでもなお、彼らが神の民である事を許し、彼らのあらゆる罪や苦痛を対処し、全世界に対して、彼らを通して主のみが神でいます事を示そうとしておられる。
3.新しい神の御業について・・・神はバビロンを滅亡させる(14~17節)と語られる。あの出エジプトの時、奇しき御業を成して紅海で救われた事を指示し、イスラエルの歴史を変えた方が今を生きる彼ら、また我達の現実を変える新しい救主として、立ち上がって下さる。「先のことに心を留めるな、昔のことに目を留めるな」とは引きずっている過去へのこだわりを捨てて出エジプトで働かれた同じ神に目を留め、神様がこれから行うとしている事へ心を向けるように促している。今までに無い出エジプト以上の私達の思いや願いを越えた栄光ある御業をなされる主は、私達が悔い改めたからでなく、むしろ神は、あなたの罪で苦労させられ、その咎でわずらわせた。しかし、その罪を拭い去り、思い出さない、忘れる(赦す)、そして荒野に道を砂漠に河を流れさせる。その結果、「湧き出る川のほとりに連れて行く」インマヌエルなる方に結びつく。この年の後半、神様は今迄に無い「新しい事を行う」と語られました、主を待ち望みましょう。
「わたしが事を行えば、だれがそれをとどめることができるだろうか」13節

 

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