2023年07月23日・礼拝メモ
主を待ち望む
聖書箇所「イザヤ書40章21~31節」
慰めよで始まるこの40章は、自業自得の罪で苦しむ人々を神様は「私の民」と呼ばれ、慰めに満ちたメッセージをイザヤを通して語っておられる。慰めとは「深く呼吸する」という意味で神の深い恵みから慰めは、人の呼吸を助け、新たな活力を生み出す力が込められている。主牧は退院が決まり、非常に喜んでいる。いろいろな拘束から解放される事の喜びはイスラエルの民が捕囚の中より、解放される喜びに似ている。今日の箇所より捕囚後に起こる回復(神との関係の回復)と希望が語られている。2つの事。
- 目を高く上げて・・よく見よ。・・神様はどんな御方かをよく見よと。神は、天地を超越した方、天地に満ちる偏在なる方。この世の指導者、権力者は神の一息で無となる。誰とも比べ得ることのできない方、全てを創造し、万象の1つ1つを知られ統治している方。目を高く上げてとは霊の目を開けて神を見よとの意味。神が人々を見放され、祈っても聞かれないのではなく、人々の目が神を隠している。神は創造者であり、私達の人生の些細な事に至る迄の弱さ、悩み、課題のすぐそばにおられる方です。
- 主を待ち望む・・・それは神を信じる事です。(神に全面的な信頼を置く)。神様は疲れる事もなく弱る事もないと、対照的に私共は疲れ弱り果てる。肉体的、精神的、何より霊的に疲れる(魂の危機)ですから刷新が必要です。また、ストレスの多い時代、年寄りだけでなく若い人も疲れる。しかし希望がある。神の全能の力を注いで下さる。主を待ち望むに心すべき3点。
➀ 人の力により頼まない・・人には力の源泉が無い事を徹底的に認める。
② 主だけにより頼む・・力の源泉は神のみに有る事を信ずる。「聖霊が臨む時あなた方は力を受ける」。
③ 主に期待し続ける事・・信仰と祈りが直ぐに応えられなくても神の時を信じ期待続けましょう。
モーセは120歳で召された時、その気力は衰えていなかった。実際上からの力を頂いて、力強く霊の戦いや奉仕をなし続けた証人が身近にいらっしゃる。私共も世に在って、永遠者なる方の力、世の力に逆走するように鷲の如く翼を広げて登る力、尽き果てない力、聖霊に満たされてその力を日々の生活、人生で体得するお互いとならせて頂きましょう。