2023年10月15日・礼拝メモ

生命のパン

聖書箇所「ヨハネの福音書6章41~65節」

この書は、漁師から主の弟子となったヨハネが記した書で「キリストの胸の中」と呼ばれ、この6章のはじめには、5000人の施食の奇跡の記事が記されている。人々はこの方こそ約束された偉大な預言者として王として迎え入れようとした。しかし、主は人を避け「一人山に退かれた」その後、ガリラヤ湖を渡り、カぺナウムへと行かれた。人々は追いかけてイエスの所に来たが、主は「あなた方が私を捜してここまで来たのは、しるしを見たからではなく、しるしを求めて利益を得ようと求めて来た」と指摘された。私達は、何のため信仰生活を歩んでいるか。主は言われた「なくなってしまう食べ物の為ではなく、(そのためキリストの所に来るのではなく)いつまでもなくならない永遠の命に至る食べ物の為、働きなさい。」と。私達は、この世の事に時間とエネルギーを費やしているが、永遠の命の為に、どの位、費やしているでしょうか?「神の業を行う為には何を・・・」主は「神が遣わした者を信じる事、それが神の業」と「それでは、どんなしるしを」見せてくれるのか。我々の先祖は荒野で「天からのパン」のマナを食べた。それで主は「私が、天からのまことのパンです」と。それについて2つの事を。
➀永遠のいのちを与えるパン・・・6章のパンの奇跡の霊的解釈は「主イエスご自身が」人が真に求めるべきパンであるという事です。主が地上に来られたのは、肉の糧を与えて多くの人を養うためではなく、人に永遠の生命を与え再び乏しさを感じる事の無い霊のパンを与える為でした。天よりの真のパン、霊のパンが主ご自身である事をわからせるのが、あの奇跡の目的であった。ですが人々は、あの奇跡を経験しながら、キリストこそ神が天から送って下さった生命のパンであることを信じられなかった。信ずる者は永遠の生命を持ち、終わりの日にキリストにより、よみがえる。
⓶このパンを食べる者は・・・「食べる者は永遠に生きる。わたしが与えるパンは世のいのちのための私の肉です」51節。これは過越しの子羊の肉を連想させ、私達の罪の贖いのためご自分の肉を裂かれ、血を流された十字架の死の事。聖餐式は、その表微である。私達の魂が絶えず力づけられ、きよめられ新たにされるのはこの真の肉を食べ、血を飲む事、すなわち信じて命を得、維持する事です。私達は、キリストの命を持っているでしょうか。また、その命にあふれた者とならせて頂きましょう。

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