2024年02月04日・礼拝メモ

キリストにあるあゆみ

聖書箇所「エペソへの手紙5章1~20節」

大震災で始まったこの年も2月に入りました。世界的視野からも、世の終わりの時代に突入した事を覚えます。いよいよ霊の目を醒まして自らの信仰の在り方を正し、福音宣証に励むお互いでありたい。今日も御言葉を通して神の語りかけに心を傾けましょう。5章は、「キリストにある歩み」について語られています。「ですから」という言葉をはじめとし、3つの歩みについて勧めている。

Ⅰ1節の「ですから」は愛の内を歩む・・(肉欲によってではなく)キリスト者になって素晴らしい事、それは、イエス様が私を愛して下さるという事実。罪深い私を赦す為に生命を捨てて下さった愛、そのキリストの愛に倣う歩み。また、神の愛の内に歩む者は、世から聖別された者にふさわしく、不品行、汚れ、貪欲を避け、口から感謝の言葉が出る者であり、キリストが今も神の右の座にて、私共の為、愛によるとりなしの祈りを献げておられるように愛をもってとりなしの祈りを献げ続ける者でありたい。キリストの愛は、自分を捨てるという犠牲が供います。信仰が御利益信仰で自分の利得のためでないか吟味したい。キリストの犠牲の愛に生きる歩みをしましょう。

Ⅱ6節「ですから」は光の子供として歩む・・かつては闇であった者でした。しかし、キリスト者は神の光の子となったのです。「わたしは世の光です。わたしに従う者は決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」ヨハネ8:14。神の光は人々に希望という光を与え、罪からの救いという光を与え、その光が私共から不安と恐れを取り除く。光の子となったキリスト者は光の子供らしく歩みなさい。と勧められています。神様は道徳的、また霊的に暗黒の中にいる人に対して、キリスト者が神の光の中に生き、その生活を通して闇の人々が神の光に照らされ、神の光を知る存在となるために、神の証人として、光の子供らしく歩むようにと語っておられる。光の子として歩む大切な原点は、ヨハネ1:7「神が光の中におられるように光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私達をきよめてくださいます。」きよめられて光輝く証人となり用いて頂きましょう。

Ⅲ15節の「ですから」知恵による歩み・・は、次回に致します。

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