2024年03月24日・礼拝メモ

十字架の愛

聖書箇所:ルカの福音書23章32~49節

  パームサンデーの朝ですが、主がろばの子に乗り、エルサレムに入京され十字架に向かっての最後の週に入られました。「ホサナ、ダビデの子に祝福あれ」と歓迎された。主がこの週のうちに十字架に追いやられたとは、何という事でしょう。最後の晩餐、ゲッセマネの祈祷、捕縛、そして夜を徹しての裁判の結果、人々は、主を十字架刑に。しかし、「十字架のことばは滅びる者たちには愚かであっても救われる私たちには神の力です」キリストの受難に現わされた主の愛について3つの事を。

1)罪なき人が裁かれた・・・罪なき神の御子が犯罪人と共に十字架刑となった。それは、そこまで忍んで罪人の側に立って下さった愛による。また、主は罪なき、汚れ無き、神の小羊として贖いのため献げられた。

2)十字架上で私達の為に祈られた・・・「父よ、彼らをお赦し下さい」なんという愛に満ちた祈りでしょうか。「主は私達の背きのために刺され私達の咎のために砕かれた」。「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と教えられた主は十字架の上でそれを実行されました。そして主は、祈られただけでなく「血を流す事がなければ罪の赦しは無い」、「ご自分の血によってただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し就げられた」へブル9:2。私達の罪を赦し、解放し、義として下さった。主のとりなし赦しの祈りはご自身の贖いによって成就された。

3)十字架上で救いの御業をなされた・・・2人の犯罪人のうち一人がイエスのとり成しの祈りを聞いたからか「あなたが御国に入られる時には、私を思い出して下さい」と願い求めた。主は十字架のお苦しみの中に在って「あなたは今日、私と共にパラダイスにいます」と。この人は、死の間際に救われたのです。主の魂に対する愛の大きさ深さを知らされます。12時~3時まで全地は暗黒となった。神が御顔を隠された為。主は人々に捨てられ、神に捨てられ、全ての人の罪を背負って、十字架の上にさらされた。キリストの体が裂かれたイエスの死により、神殿の幕が真っ二つに裂け、神と人との隔ての幕が無くなり、神と人との直接の交わりの道が開かれた「私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死なれた事によって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにされました」ローマ5:8

 

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