2024年04月14日・礼拝メモ

生きることはキリスト

聖書箇所: ピリピ人への手紙1章12~26節

序 桜が散り、若葉がめばえています。神学院への登り坂は植物の新芽で美しい。ピリピ書は福音の喜びの手紙です。(喜び16個)ピリピ教会はヨーロッパで最初に出来た教会で「パウロを献身的に支えた教会です。」

1) パウロの第一の願いは「世を去ったキリストとともにいることです。その方が、はるかに望ましいのです。(23節)」,しかし肉体にとどまっているので、神からの使命を感じて、この地上に生きながらえています。パウロ自身も、生きる限り福音伝達を自分の使命と感じていた。
2)信仰の前進のために生きながらえたい。それは信じていない人たちが、神の愛の恵みを知って、ただ神の御子・キリスを信じるだけで、福音に預かる事が出来るからです。キリストともに3本の十字架の1人の救いを考えて見ましょう。「イエス様。あなたが御国に入られる時は私を思い出して下さい。」イエスは言われた。「あなたは今日、私とともにパラダイスにいます。」(ルカ23章42~43節)互いに自分の人生はすべき事が沢山ある。しかし、教会の使命として、福音伝達に心を向けよう。
3)25節 このことを確信しているので、あなた方の信仰の前進と喜びのために、私が生きながらえて、あなたがたとともにいるようになることを知っています。私の願いは、生きるにしても、死ぬるにしても、私の身によってキリストが崇められることです。(20節)
パウロは、この時、血気盛んな若い時はない、しかし思いは若い時以上で、その心は霊に燃え、生きる力を頂いて、その使命に向かって取組んでいる。その姿に、私はエネルギーを頂きました。いつもと同じようにいささかも臆する事もなく、自分で生きる、死ぬ事を選ばず釈放されようが、死刑に処せられ死のうがキリストが崇められる事をひたすら願い。「あがめる」と言うことばは拡大する。顕微鏡が肉眼で見えない物を拡大化する。キリストが多くの人に現れることを願う。私たちの存在がレンズのような働きを果たせるように、
「我にとっては生くるはキリスト、死ぬことは益です。」情熱がキリストに傾けられて価値があることでしょう。キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の栄冠を得るために、(3:14)パウロ自身、迫害者が使徒となり、キリストが常に、自分の内に在って生きているのを語っている。私たちもそうありたい。

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